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『真実の愛』を生きていたアダムとイブ

『真実の愛』を生きていたアダムとイブ ハッピー

 

アダムとイブにとって『食』と『性』を満たすことに『快感』と『快楽』があたえられたのは・・

 

どんな苦難があろうとも生き延び、優秀な子孫を残す『使命』をまっとうするための神様の『やさしさ』であり・・

 

生きることにこのうえない『よろこび』と『心地よさ』がもたらされたことで『食』と『性』を満たすことは『本能の欲求』となりました。


花を咲かせて生きている ハッピー

 

『花』は・・

神様から、お日様の光、空気、水、土から栄養をもらうだけで、自らの『生きる力』で『種』から根が生え『芽』が出て『茎』が伸び『花』が咲きます。

 

『花』のなかには『めしべ』と『おしべ』があり、自然(神様)の力をかりて『受粉』して『実』をつけます。

 

エデンの『楽園』で暮らしていたアダムとイブは、わたしたちの『原初の姿』であり・・

 

ふたりは『おしべ(アダム)』と『めしべ(イブ)』のように『一心同体』であったため、とても仲良しで自分たちの『性の違い』を特に意識することもなく、見られているという『自意識』もなかったので、こどものように無邪気に『ありのままの姿』でいることが自然で・・

 

『あたま』であこれ考えず『こころのままに』したいことを楽しんでいました。

 

赤いハートと食べ物 ハッピー

 

神様からは『無条件・無償の愛』として『おいしい食べ物』と赤いハートをあたえられ・・

 

すべてが『愛』と『感謝』でめぐりめぐっている『楽園』で『×(バツ)』をつけて否定することなどなく『こころ』も『からだ』も満たされ『命』を美しく輝かせていました。

 

『生命』の『源の愛』である『赤いハート』 ハッピー

 

神様からあたえられた『赤いハート』は『真実の愛』であり・・

 

ふたりは『まごころ』を交わしあうことで『安らぎ』いつでも『笑顔』でいられました。

 

こんなふたりの『赤いハート』生命』の『源の愛』なのです。

 

楽園のアダムとイブ ハッピー

 

こうして、なんの『不安』も『不満』もなくこどものように自由に『今、ここ!!』を『自分らしく』生きていたアダムとイブは『こころ』も『からだ』も羽がついているかのように軽やかにリラックス』でき・・

 

ご機嫌さんのいい気分』でいられたので、とても『しあわせ』で、まさに『天国』を生きていました。

 

男性性と女性性の統合 ハッピー

 

ふたりは、互いを『尊重』し補いあえる『最高のカップル』であり『男性性』と『女性性』が統合している『完全なる魂』なのでした。


禁断の果実を食べたアダムとイブ

 

ある日、イブは『ヘビ』にそそのかされ『知恵』を授かる『禁断の果実』を食べてしまいました。

 

そして、アダムもイブにうながされるがまま同じ『罪』をおかしてしまいました。

 

それを知った神様は『罰』として、アダムとイブの『一心同体』だった『性』を切り離し『片割れ』どおしにさせ・・

  • ダムには『生存』のために『食』を捧げる『過酷な労働』を
  • イブには『子孫繁栄』のために『性』を捧げる『産みの苦しみ』を
それぞれの『役割』として背負わせることにしました。

 

そして・・

どんな苦難があろうとも生き延び、優秀な子孫を残すことがふたりの『使命』となりました。

 

このときから、ふたりは『ありのままのはだか』でいることが恥ずかしくなり、互いの『性』を意識する『自意識』が芽生えるようになりました。

 

こうして・・

『楽園』を追い出されたアダムとイブでしたが、もともとやさしい神様が、ふたりに『苦しみ』だけをあたえるはずもなく・・

 

『食』と『性』がふたりを結びつける

 

  • 『生存』のための『食』
  • 『子孫繁栄』のための『性』

には、アダムとイブの『からだ』と『こころ』にこのうえない『よろこび』と『心地よさ』を味わえるような『快感』と『快楽』があたえられ・・

 

食』と『性』を満たすことは、アダムとイブの『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするための『本能の欲求』となりました。

 

この『本能の欲求』を満たそうとする『エネルギー』は『性エネルギー』となって、互いに求めあう『恋する気持ち』と好きなことをワクワク楽しむ『情熱』をわきあがらせる『生きる力』となっていきました。

 

そんなアダムとイブは、互いに好かれたいがために、カッコいい自分を見せようとしたり、素敵な自分になろうとし互いの『気』をひく『自意識』によって+(凸・男性性・♂)と-(・女性性・♀)の『磁石』のようにひきあい・・

 

卵子(女性性)と精子(男性性)

 

自分の『片割れ』と再び『ひとつ』になり、互いの足りないところを補いあい、協力しあい、助けあって『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするための『完全なる魂』になることを強く望むようになりました。

 

こうして・・

ふたりをひきつける『性エネルギー』は『食』と『性』の『本能の欲求』を満たすために『あらがうことができない』大きな『力』となって生涯、ふたりを結びつけていました。

 

おかげでふたりはずっと仲良しの『ラブラブ』なまま、互いに『花』を咲かせそれぞれに輝くことができました。

 

神様は『楽園』で暮らしていたころの『しあわせな気分』をふたりに忘れてほしくなかったのです。


そんなアダムとイブにとって・・

 

自然は『恵み』をもたらしてくれる素晴らしいものである反面、『厳しさ』をももたらす驚異でもあり、大いなる自然の前ではなす術がなく、生きていくことは『命の危機』と隣り合わせの日々でもありました。

 

祈りの力

 

また、生きることは、神様があたえてくれる自然の『恵み』に感謝しながら、ほかの『生き物』たちの『命』をいただくことでもあったので『生き物』たちと『共存』『共栄』しながら生きていけるよう『祈り』をささげることが日課となりました。

 

神様と自然と密接につながらずには、生きていけなかったからです。 

アダムは、家や道具をつくったり、外で狩りをしたり、家族の安全を守る『力仕事』が上手に楽しくできました。

 

また、大きな獲物をみんなで『捕まえる能力』を身につけ、集団で団結して『ひとつの目的』を達成することに『よろこび』を感じるようになりました。

 

さらに、誰よりいい獲物をイブにプレゼントしてほめられたい、自分が一番になりカッコいい自分でいたいという『競争心』もわくようになりました。


イブは、家事や子育てや農作業など、細やかなことに気配りができる『手仕事』が上手に楽しくできました。

 

また、女性たちとおしべりすることが楽しく、暮らしに役立つ『情報』を交換しあう『コミュニケーション能力』を身につけ、子育てや農作業を共に助けあい支えあうことに『よろこび』を感じるようになりました。

 

さらに、家事や子育てや農作業などを『同時にこなすこと』も得意になり、家族の『からだ』や『こころ』の変化にも敏感に察知する鋭い勘』も身につけていきました

 

そんなイブにとって、アダムや子どもの手柄は自分の『自慢』のひとつにもなりました。

 

こうして・・

『楽園』を追い出されたとき、神様から背負わされたそれぞれの『役割』を果たすための『仕事』は、厳しさや苦痛をともなうこともありましたが、アダムとイブの『才能』を花開かせ『特技』にすることができたので、上達することが楽しくなっていき・・

 

こうして『仕事』に励むことで『生きる力⇒情熱』と『生きるよろこび⇒ワクワク』が得られ『生きる糧』と『生き甲斐』を得ることができたので、それぞれに自分の『花』を咲かせ『自立』することができました。

 

アダムもイブも互いの『違い』は、ふたりが仲良く互いの足りないところを補いあい、助けあい、協力しあって、いつまでも仲良しでいられるよう、神様から授けられたものであることがよくわかっていました。

 

お互いに補完しあい尊重している

 

なので、それぞれの『特質』の『違い』を『尊重』しあい、自分にできないことを相手にしてもらったときには、いつでも大いに『感謝』し、相手を敬うことができたので、ふたりは『対等』にありながら笑顔』でいることができました。

 

どんなことでも本当の『気持ち』や『望み』を伝えあい・話しあい、たくさんの困難や試練を乗り越えたおかげで『ふたりの絆』はどんどん深くなっていきました。

 

アダムとイブ 子育て

 

そんなふたりにとって、こどもを育てることは、大きな『癒し』と『よろこび』がもたらされ、くじけそうになるときも、こどもの『笑顔』に励まされ『生きる力』をもらうことができました。

 

こどもは、ふたりにとって神様から授けられた『宝物』であり『子育て』に励むなかで『神様の愛』である『無条件・無償の愛』がいかなるものであるかを深く学ぶことができました。

 

ふたりの『無条件・無償の愛』をたっぷり受けて育ったこどもたちは、人から『愛』を受けとることも人に『愛』をあたえることも自然に『学ぶ』ことができ、自分のことも人のこともたいせつに愛することができるおとなへと成長していきました。

 

アダムもイブも、こどもたちが自分たちのように『しあわせ』な家庭を築き子孫を残してくれることがなによりの『親孝行』だと思い、いつもそうなることを願っていました。

 

とはいうものの、こどもたちが『巣立つ』ときには、さみしい気持ちでいっぱいになりましたが・・

 

神様から授けられた『命』をたいせつに育てあげた『達成感』と、こどもたちから『無条件・無償の愛』である『真実の愛』を学ばせてもらえたことに深く『感謝』し『お互いさまのおかげさまのありがとうだったね!!』と『笑顔』をかわしあい、こどもたちを送りだすことができました。

 

こうして・・

こどもたちを『神様のふところ』にお返しできたアダムとイブは『命』を次の世代につなげていく神様の『使命』をまっとうすることができ、こどもたちは、それぞれの家族をつくるために巣立っていきました。


アダムもイブも、それぞれがもてる『能力』を最大限に発揮できるよう、お互いに励ましあい補いあい協力しあい助けあうことができたおかげで、こうして無事に、互いの『花』を美しく咲かせ『実』を結ぶことができたのでした。

 

アダムとイブは互いに『花』を咲かせ ハッピー

 

アダムとイブは、自然とつながり『自然のルール』にしたがった『自然な生き方』をしていたので『からだ』と『こころ』と『あたま』は、神様の『使命』をまっとうするために『バランス』よくつながっていました。
 

そんなアダムとイブにとって・・

 

『禁断の果実』を食べたことで授かった『知恵』は、厳しい自然環境のなかで生き延び、子孫を残し、まわりにいる『生き物』たちと共に暮らしていくためにつかわれていたので・・

 

『赤いハート』は傷つくことなく『まごころの愛』を生涯、たいせつにしながら、自然を敬い『調和』しながら生きることができました。

 

このような『知恵』を授かった『あたま』が、時を経るにつれて『生存(子孫繁栄も含む)』や『防衛』のためにつかわれ善悪』や『損得』や『優劣』をはじきだしたり、人を裁いたり差別することや『我欲』や『執着』や『おそれ』や『罪悪感』を生みだすことになろうとは、夢にも思わなかったアダムとイブでした。 

離れ離れになったアダムとイブの『魂』 ハッピー

 

命』が終わりを迎えるとき、アダムとイブは、再び、離れ離れの『魂』になって長い旅に出ることになりました。

 

 

『片割れ』どおしになったアダムとイブの『魂』は、それぞれに『花』を咲かせるための『小さな芽』をつけて・・

 

分離した魂

 

宇宙をさまよい、再びめぐりあうことを夢見て深い眠りにはいりました。

 

アダムもイブも、深い眠りのなかで男性性』と『女性性』の『分離の幻想』による愛を経験することになりましたが・・

 

果たして『真実の愛』を思い出すことができるでしょうか・・。

 

男性性と女性性が統合され『ひとつ』になった『魂』

 

神様は、ふたたびふたりが『楽園』に還り『ひとつ』になって、互いに『花』を咲かせることができるよう、天から応援し見守っています。