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『コントロールの世界』による愛

『コントロールの世界』による愛 ブッヒー

 

『コントロールの世界』による愛は・・

 

『権力』の『支配』にもとづいた『社会』の『ルール』や『教え』により・・

 

『本来の姿』の『本当の自分』を生きようとすることに『自己卑下』と『罪悪感』と『恐怖(おそれ)』の『十字架』を背負わされている『偽りの愛』である。

 

これらすべての内容は、サーアイアイの『洞察』によるものです。


『楽園』を追われたアダムとイブの子孫は・・

 

厳しい自然環境をくぐりぬけ、よりたくさんの食べ物と安全な住み家を得るために『知恵』を授かった『あたま』をつかい・・

 

生活をよりよく便利にするために道具をつくり『手』をどんどん器用にさせていくことと連動して『あたま』もどんどん賢くしていった。

 

そうして・・

男性たちは、家族を守る『技能』や獲物を捕る『技術』を磨き、狩りを効率よく安全にする『知恵』をつけ、大きな獲物(目的)に対しては、みんなで協力し立ち向かう『団結力』も身につけていった。


女性たちは、家族が健やかに気持ちよく暮らす『技能』や農作物を収穫する『技術』を磨き、家事やこどもの養育のためになる『知恵』を身につけ、暮らしに役立つ情報を交換したりみんなで協力しあうための『コミュニケーション能力』も高めていった。

 

男性も女性も、それぞれが得意に楽しくできる『役割』を分担することで、暮らしをより安全で快適なものにする『あたま』と『からだ』を発達させ『脳』と『身体』を『進化』させていった。

 

やがて・・

大きな集団で生活するようになると、争いごとをとりしまり、安全により豊かに生活するための『決めごと』が生まれるようになり、集団のなかで知恵や腕力にたけたものが『決めごと』をとりしきるようになり『権力』をもつようになっていった。

 

部族のなかでは『しゅうちょう』が、家族のなかでは『父親』が『権力』をもち、みんなをまとめる『役割』を担うようになった。

 

『権力』をもった者のなかには自分の利益ばかりを求める者もあらわれ、そんな彼らにとっては、人々が自分の足で立って『自立』して生きることが何よりも恐ろしく、自分たちの『生存』を脅かすものであったため、人々の『自立』をさまたげるような『決めごと』をつくり、自分の意のままに『支配』するようになっていった。

 

こうして・・ 

男性はより男らしく、女性は男性に従いより女性らしくあることや身分の差による『役割分担』を強要し、誰もがもっている『個性』や『才能』は抑えつけられたり禁止され、好きなことや得意なことを『仕事』にすることも許されず・・

 

また・・

自然に湧きあがる『恋する気持ち』は「恥ずべきこと・はしたいないこと」として、抑えつけられたり禁止されたため、好きな人と『恋』をして家族になり愛情豊かに生きる『自由』も奪われ・・

 

『権力』のある者に『コントロール』された『愛』のなかで生きることを強制させられていった。

 

そうして・・

この世の人々のために力を尽くそうとする者や能力があり『権力』に反発しようとする者は、厳しい『身分制度』のもと強く押さえつけられ、男女や身分の差など、あらゆる偏見や差別はより一層、強くなり・・

 

人々の『命の尊厳』は不当にあつかわれることが当たり前のようになり『決めごと』に逆らうものは、当人ばかりでなく家族や一族まで『危害』が及ぶような厳しい『罰』があたえられた。

 

そのため・・ 

  • 『決めごと』を守ることは、いいこと・ほめられること
  • 『決めごと』を破ることは、悪いこと・いけないこと

といった『考え』や『感情』が植えつけられ、やがてこれが『習わし』として暗黙の『ルール』や『教え』となり、自分たちの『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために絶対服従するしかないようにさせられ・・

 

本来の『本能の欲求』にしたがい人間らしく『自由』に生き『自立』することは『罪』であり『罰』があたえられることが当然のようになっていった。

 

こうして・・

『本来の本能』にしたがい自分の『性』を謳歌し、愛する人と家族になり子孫を残すという『命の尊厳』には「恥ずべきこと・はしたないこと!!」という『自尊心』を傷つける『自己卑下』が植えつけられ・・

 

自分の『種(たね)』の『特質』である『個性』や『才能』を活かしながら、好きなこと・得意なことを『仕事』にして生きることは「いけないことをしている!!」という『自己肯定感』を奪う『罪悪感』が植えつけられ・・

 

『本来の本能』にしたがい『本来の姿』で生きることには、厳しい『罰』があたえられたため『本当の自分』を生きることに強い『おそれ(恐怖)』を抱くようになり・・

 

自己卑下と罪悪感とおそれが十字架になる ブッヒー

 

『本来の姿』の『本当の自分』を生きようとすることに『自己卑下』と『罪悪感』と『おそれ(恐怖)』の『十字架』を背負わされるようになっていった。

 

男性は『男性性』をより強調したような生き方を強いられ、女性は、男性にしたがい『女性性』をより強調したような生き方を強いられたため・・

 

男性であれ女性であれ、その人がその人らしく輝けるよう、もともと備わっている『男性性』と『女性性』の『バランス』はくずされ『分離』させられたことにより『本来の本能』は歪められコントロール』されるようになっていった。

 

やがて・・

大きな『権力』をもつ者どうしは、土地や資源や美しい女性をめぐって争うようになり、政治や勢力争いのために『愛』は利用され『我欲』と『生存』と『防衛』のために、ますます『愛』は歪められ『性への軽視や侮辱』が生まれ・・

 

こうして・・

自然とのつながりがおろそかになったことで『人の気持ち』はないがしろにされることが当たり前のようになり・・

 

女性や力が弱い者や力を奪われた者は『権力』のある者に『依存』しなければ、生きられないような『社会』のなかで生きるしかなく・・

 

傷つき弱くなった『こころ』をかかえながら、それでもなんとか『こころ』を癒そうと、満たされないおもいを埋めるためのさまざまな『依存』や『性に対する特異な意向』が生まれるようになっていった。

 

『社会』の『権力』による『ルール』や『教え』により『思い込まされたこと』や『過去』の記憶のデーターに基づき『決めつけたこと』による『ものさし』や『レッテル』によって・・

 

自分や家族やたいせつな人の『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』にとって・・

  • 優位になるものを『○』・善・得
  • 不利になるものを『×』・悪・損

『知恵』を授かった『あたま』は善悪』や『損得』や『優劣』を自動的に判断するようになり『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』にとって人より優位になろうとして『あたま』はつかわれるようになり・・

 

『○』『×』をつけた『あたま』によって人と比較したり人を非難しては裁き『こころ』は、ますますないがしろにされるようになっていった。


コントロールの世界』による愛には、3つのタイプがある。

 

『支配』によるコントロール(男性性のバランスが過剰にいきすぎた愛)

 

支配によるコントロール ブッヒー

 

『男性性』のバランスが過剰にいき過ぎた者は、力の弱い者『支配』し自分の都合のいいように思いどおりにしようとし・・

 

力の弱い者は、力の強い者に非難・攻撃され『服従』させられているうちに・・

 

反抗する力も失せ「どうせ、何をしてもここから逃れることはできない!!」というあきらめから『絶望感』をいだくようになり・・

 

もしかしたら、自分が本当に悪いのかもしれないといった歪んだ『正統性』を相手にいだくようになり、自分が『存在』していることすら『罪悪感』を感じるようになってしまう。

 

やがて・・

すべてを『支配』され自分を生きる』ことも『自分を守る』こともあきらめてしまった力の弱い者は、自暴自棄に陥り、自分や人の『からだ』や『こころ』を傷つけるようになってしまうか・・

 

辛さから逃れたい・なんとか自分を守りたいという一心で、力の強い者にごまをすったり、過剰な気づかいをしたりして『期待』にこたえることに必死になるしかなく・・

 

力の強い者に気まぐれにやさしくされると、普段から虐(しいた)げられている反動から、もしかしたら「自分はたいせつにされているのかもしれない・・」とか「自分は必要とされているのかもしれない」とか「自分がなんとかしてあげたい!!」いった錯覚を覚えるようになり・・

 

こんな歪んだ『よろこび』を感じることで、ある種の『快感』を覚えるようになると、この状態から抜け出せなくなり『共依存』の関係に陥ってしまうのである。

 

こうして・・

自分の『特質』を活かし『ありのままの自分』を生きることを否定され「ありのままで存在していてはいけない!!」という『存在価値の否定』により『自己肯定感』は奪われ・・

 

『命の尊厳』は踏みつけにされ自己卑下』と『絶望感』にみまわれることで『自尊心』は深く傷つけられてしまうのである。

 

『命の尊厳』を踏みつけにされる ブッヒー
『命の尊厳』を踏みつけにされる

 

このような『支配』による『上下関係』は、封建社会の世界では普通にあったことであり、男尊女卑や身分制度におけるあらゆる『差別』や『不公平』や『不条理』が、当然のこととしてまかりとおっていた。

 

現代では、家庭や学校や職場などで『ドメスティックバイオレンス』や『虐待』やいじめ』など、さまざまな『ハラスメント』に発展し、そこから逃れられなくなってしまうのである。

 

このように『男性性』が過剰になってしまう背景には、単に親の姿を引き継いでいる場合もあるが、『過去』に同じようなことをされ『こころ』に傷をかかえている場合もあり・・

 

そのときの『怒り』や『悲しみ』が癒やされていないため、自分よりも弱い者を『支配』することで『過去』の『痛み』を晴らそうとしているのであり・・

 

「弱かった自分にもう二度ともどりたくないし、そんな自分はもういない・・」「本当は弱い、けれど、そんな自分を見せたくない」という自分を守る『自己防衛』が『虚勢』となって表れているのでもある。

 

けれども・・

そこには、自分の辛さをわかってもらい愛してほしいという切なる『欲求』も潜んでいるのである。


『所有』によるコントロール(女性性のバランスが過剰にいきすぎた愛)

 

所有によるコントロール ブッヒー

 

『女性性』のバランスが過剰にいき過ぎた者は、力の弱い者『所有』し可愛がりながら・・

 

自分の満たされなかった『愛』を満たしてもらおうとしたり、かなえられなかった『夢』や『希望』を代わりにかなえてもらおうとすることで、自分のおもいどおりしようとし・・

 

力の弱い者は、甘やかされ、危険や困難にあわないよう障害物をとりのぞかれ『過保護』にさせられたり、過剰な『期待』をかけられ『いい子』でいるように仕向けられているうちに・・

 

言うことをきいていればこんなに愛され楽でいられるのだからと、相手の『期待』にそう『いい子』でいようとしたり、いつまでも『幼い子』を演じていればやさしく可愛がってもらえるし、なにより『いい子』や『幼い子』でいれば、こんなによろこんでもらえる・・

 

これは『愛』なんだと勘違いしながら、自分の『本心』をかくすようになってしまう。

 

こうして・・

本来もっている自分の力を試す『チャンス』も自分の世話をする『力』も奪われていくうちに、一人では何もできない『無能感』を植えつけられてしまう。

 

とはいえ・・

おとなになるにつれいい子』や『幼い子』を演じていることに『違和感』と『怒り』がこみあげるようになると・・

 

自分を自制することもできないほど『わがまま』になってしまい、力の強い者に反抗したり暴力をふるったりしながらも『自立』する力がないため『共依存』の関係を続けるしかなくなってしまったり・・

 

または・・

力の強い者のことをとてもたいせつに思いながらも、常に『監視・干渉』されていることに耐えられなくなってしまい、自分の力で生きたいというおもいが強くなり、力の強い者から離れようとするものの・・

  • 力の強い者にひどく悲しい顔をされると離れられなくなってしまったり
  • 離れようとする度に離れられなくなる『事態』にみまわれ、離れられなくなってしまったり
  • 「やっぱり、今までの恩を裏切ることはできない」などという『罪悪感』にさいなまれたりして・・

結局、そこにとどまりいい子』や『幼い子』を演じ続けるようになってしまう。

 

こうして・・

『無能感』や相手の『期待』に応えなければ生きていけないかもしれないという『思い込み』や今までやさしくしてもらったことへの『罪悪感』により『本当の自分を生きようとする『自立の芽』は摘まれてしまうのである。

 

『自立の芽』を摘まれる ブッヒー
『自立の芽』を摘まれる

 

このような『所有』による『上下関係』は、親や師や雇用主のあいだでなされることがあり・・

 

力の強い者にしてみれば、力の弱い者が大きくなることは許さないという『無言のメッセージ』とともに、自分が『優位』でいることで満たされる『我欲』が潜んでいたり・・

 

力の弱い者にしてみればいい子』や『幼い子』や『無能』なフリをしていれば『ぬくぬく』していられるし、よろこでもらえるのだから・・という『甘え』とともに、自分が大きくなることへの『罪悪感』が潜んでいたりして・・

 

ペットのように甘えたり甘えられることが『愛』であると勘違いすることで『共依存』のつながりを強めてしまい、力の弱い者は『自立』できなくなってしまうのである。

 

このように『女性性』が過剰になってしまう背景には、親にされてきたことをそのまま引き継いでいる場合もあるが・・

 

上記の『男性性』が過剰にいきすぎた『愛』を経験していて、厳しくされ辛いおもいをしてきた『過去』を取り戻すかのように、愛されなかったり、やさしくされなかった分、自分よりも力が弱い者を過剰に愛することで埋め合わせをしようとしたり、あきらめた『夢』や『希望』を代わりにかなえてもらおうとしてしまうのである。

 

また・・

力が弱い者が苦労する姿を見たくない、また、心配や不安をかけられることから逃れたいという『自己防衛』と『我欲』から『過干渉』や『過保護』になり『歪んだ愛』を押しつけるようになってしまうのである。

 

さらに・・

「あなたのために自分を犠牲にしている・・」と、子どもの世話を『言い訳』にして、力が弱い者をつかって自分の弱さと向き合うことから逃れていることもある。

 

けれども・・

そこには自分を愛してもらいたい、あきらめた『夢』や『希望』をかなえたいという切なる『欲求』も潜んでいるので・・

 

まずは、力の弱い者に向ける愛を自分に向け、自分のことを自分で愛し、弱い自分と向き合いつつも自分の力を信じ夢』や『希望』がかなえられるよう行動に移していけば、互いに『夢』や『希望』に向って自分の足で立とうすることで『共依存』の関係から卒業できるようになる。


『対立』によるコントロール(完璧主義者の愛)

 

対立によるコントロール ブッヒー

 

『支配』も『所有』も、自分を生きる力を奪われ『自立』することができないように『コントロール』されてしまうものであるが・・

 

対立』は『男性性』と『女性性』が対等な力をもつものどうしが、自分の価値基準や生きる世界がすべて正しいと思い込み「◇◇であらねば、イヤだ!!」という強い『自己主張』をしあうことで『対立』『反抗』しあう関係にあり・・

 

どちらも『支配』か『所有』または、そのどちらも経験した『過去』があり「◇◇であらねばならない」「□□でなければ許さない」「△△であってはならない」という強い『観念(考え)』を植えつけられたことにより、それが『自分ルール』となり『こだわり』が強くなってしまっているのであり・・

 

これらを『完璧』にこなさないと不安になるため自分の思いどおりになるよう相手を正そうと『コントロール』したり、相手が自分の『期待』どおりにならないと、相手に苦しめられているという『被害者意識』を抱いてしまい、相手を非難しては『罪悪感』をあたえるようになってしまう。

 

そうやって『完璧』であることを求めるくせに、自分の『欠け』や『弱み』は認められず、人に『欠け』や『弱み』を指摘されると自分を『全否定』されているかのように感じ、強い『拒否反応』と『反感』をおぼえてしまうのである。

 

こんな『完璧主義者』の似た者どうしが出会うと、すぐに意気投合し強く惹かれあい仲良くなるが、親しくなるほどに自分の描く世界を『完璧』なものにしよう相手に求めるようになるため・・

 

『距離』が近ければ近いほど、互いに自分のやり方を強要してしまい、互いに惹かれあうのに近くにいると傷つけあう『ハリネズミ』のようになってしまう。

 

自分のやり方を相手に強要しハリネズミになる ブッヒー
自分のやり方を相手に強要しハリネズミになる

 

このような関係は、自分と相手が同じ『考え方』や『感じ方』や『ふるまい』をするのが当然だと思い込み、多様性を認め『個』を尊重するより・・

 

相手を正そうと相手の領域にまで入り込み『監視・干渉』したり、相手が『期待』どおりにならないと『敵対心』をいだくようになってしまっているのである。

 

そうして・・

相手のいいところを見つけるより『至らないところ』や『思いどおりにならないところ』ばかりに目がいき、相手を『コントロール』しあう関係になってしまう。

 

とはいえ・・

誰しも、相手に「○○のようであってほしい」という『期待』をかけることは大なり小なりあるのが普通ではあるけれど・・

 

『完璧主義』の場合、親子や恋人同士や仲良しの女性同士のような親密な関係にあればなおさら『完璧』を求めてしまい『距離』が近いため『対立』『反抗』しあう関係になって、やがて孤立しやすくなる。

 

このように自己主張』が過剰になり『完璧主義』になってしまう背景には、上記の『コントロールの愛』を『経験』したことによる強い『観念(考え)』『支配』されているため『0か100』かのような極端なものの見方や考え方をするようになってしまい・・

 

「これでOK!!」と思うことができず、自己の評価も人の評価も低くなってしまう傾向にあり、表向きの尊大(えらそう)な姿とは裏腹に『自尊心』と『自己肯定感』が低くなっているともいえる。

 

けれども・・

そこには『欠け』や『弱み』があっても「そのままでいいんだよ!!」と『承認』してもらいたい『欲求』が潜んでいるのである。


3つのタイプの『コントロールの世界』による愛 ブッヒー
3つのタイプの『コントロールの世界』による愛

 

このような3つのタイプの『コントロールの世界』による愛について『洞察』すると・・

 

極端な『支配』や『所有』や『完璧主義』により、自然にわきあがる『からだ』の『欲求』と『こころ』の『要望』が『知恵』をもった『あたま』により『抑圧』や『禁止』されたことにより・・

 

『本来の本能』は歪められ『本来の姿』の『本当の自分』を生きられず『自立』できなくなったため『共依存』の関係におちいり・・

 

これが『世代間連鎖』していくうちに『男性性』と『女性性』の『アンバランス』は強化され男性脳』と『女性脳』は『アンバランス』になっていったと考えられる。

 

また・・

『コントロールの世界』による愛を生きた『過去世』や過去』のなかで『こころ』や『からだ』に『傷』を負ったり『衝撃的』なことを『経験』したことで『こころ』に『傷』ができると・・

 

この『PSTD(トラウマ)』による『後遺症』として『パニック障害』『統合失調症』『発達障害』など、脳の機能に関わるさまざまな疾患が起きることで『生きずらさ』を抱えるようになったり、多様な性を認めつつも『特殊な性癖』をもつようになると考えられる。

 

『コントロールの世界』による愛についてまとめると・・

  • 『コントロールの世界』による愛はどれも、根底に自分のことを「わかってほしい、愛してほしい、望みをかなえたい」という『欲求』が潜んでいるのであり、その『気持ち』を人に求めてしまうため人を『コントロール』してしまう
  • 『支配によるコントロール』も『所有によるコントロール』もコインの表と裏』のような関係にあり『男性性』と『女性性』が過剰にいきすぎた者どうしが磁石のようにひきあい、夫婦・家族・恋人・隣人・仕事仲間・友達など最も親密で近距離にある人間関係のなかでなされる
  • 『コントロールの世界』による愛の3つのタイプは、複雑にからみあい組み合わされた状態であらわれるため『立場』や『環境』や『意識』が変わることで、いとも簡単に関係は反転し、いじめられっ子がいじめっ子になったりする 
  • 『コントロールの世界』による愛は『世代間連鎖』しやすく、親と同じパターンを繰り返すか、立場が逆転した関係になって引き継がれるかして、自分を愛し自分の力を信じ『自立』できるまでこの連鎖は続く

では・・

『男性性』と『女性性』のバランスが傾いたものどおしが、磁石のようにひきあうのはどうしてなのか?