このふたりは『男性性』と『女性性』の『分離の幻想』のなかで『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『歪められた本能』に盲目的に『コントロール』されながら・・
『食』と『性』を得るための『性エネルギー』によって結ばれながら、互いを『コントロール』しあい・・
自分のたいせつな『性エネルギー』を不健全につかい『きつい坂道』を登っている。
ここにあげたすべての内容は、サーアイアイの『洞察』によるものです。
このふたりは『楽園』を追われたアダムとイブの子孫たちの姿であり・・
『社会』を形成するなかで『力』のあるものが『権力』をもつようになると、彼らは自分たちの『利益』のためになる『ルール』や『教え』をつくり・・
男性はより男性らしく、女性はより女性らしくあり男性に従うことを強要し、その人がその人らしく輝けるもともと備わっている『男性性』と『女性性』の『バランス』はくずされ『分離』させられたことにより『本来の本能』は歪められてしまった。
これにより『本来の本能』にしたがい『本来の姿』で生きようとすることに『自己卑下』と『罪悪感』と『おそれ』の『十字架』を背負わされ『自由』と『自立』する力は奪われ『支配』されるようになっていった。
それで・・
『食』と『性』を得るための『性エネルギー』によって結ばれながらも『歪められた本能』に盲目的に『コントロール』されているため・・
『あたま』は『生存』と『子孫繁栄』の『使命』を果たすことと、それに関わる『防衛』のことでいっぱいになり・・
つねに『不安』や『心配』や『不信』や『おそれ』による『苦悩』や『嫉妬』をかかえ、互いを『コントロール』しあい『きつい坂道』を登るよになっていった。
こうして・・
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力が強い者による『支配・所有』
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力が弱い者、あるいは、力が強い者に力を奪われた者の『服従・依存』
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下の者は、上の者に従うしかなく、じっと耐え我慢をしているように見え
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上の者は、下の者をいいようにつかって、楽ちんそのもののように見える
けれど、少し見方を変えてみると・・
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上の者は、背負ってもらっている代わりに、自分の好き勝手はできないようにも見え
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下の者は、背負ってあげている代わりに、自分がしたいように相手を操縦しているようにも見える
こんなふたりの関係は、この世でみられる『男性/女性』『親/こども』『雇用主/雇用者』『権力/民衆』の関係にあり・・
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自分がいなければ、相手は生きていけない
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自分もまた、相手がいないと生きていけないかもしれない
という盲目的な『思い込み』のせいで、この関係から離れてしまうことへの『心配』や『不安』によって、くっついたまま離れることができず『監視・干渉』しあいながら・・
密着しすぎて身動きがとれず、下の者が弱り果て倒れてしまったら、上の者も倒れてしまうという『共倒れ』になるおそれをはらみながら・・
互いに足腰を弱くしたまま、自分の足で立って『自由』に歩きまわれることを忘れてしまっていたり、あきらめている『共依存』の関係におちいっているのである。
このように・・
自分の人生の『ハンドル』を自分でにぎって生きることができず、始終、だれかに『操られてしまう』関係を『コントロール』と言う。
『男性性』と『女性性』の『分離の幻想』のなかで『コントロールの世界』による愛を生きざるを得ないため、互いを『コントロール』しあっているのである。
●眉間のところのロイヤルブルーは『第三の目のチャクラ』をあらわしている。
『第三の目のチャクラ』は・・
『五感』では感じることができないものを見たり、聞いたり、におったり、感じたりする『感覚』である『第六感』をキャッチするチャクラであり『第三の目(眉間の奥にある)』と関わりがある。
また・・
目には見えない人が発している『意識(思考・感情)』である『気=エネルギー』を『第三の目』で感じとると、その『情報』は『電気信号』として伝達され、自動的に『過去』の『ドラマ』に『チャンネル』がつながってしまい・・
今、ここにいる自分の『意識』はその『過去』の『ドラマ』に飛んでいってしまうため、そこで考えた『思考』とそこでわきあがった『感情』や『痛み』がよみがえり『平常・平静』を失い目の前のことに、完全に集中できなくなってしまうのである。
これが『情動』が引き起こされた状態であると、サーアイアイは考えていて・・
起きている時も眠っている時も始終『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる『意識(思考・感情)』である『気(エネルギー)』は『周波数』をもつ『電波』のように受発信されていて・・
だれもがみんなこの『気(エネルギー)』により『干渉』しあっている。
実は・・
『細胞レベル』でも、外からやってくるさまざまな『刺激』による『情報』をひとつひとつの『細胞』がキャッチしていて、さまざまなことを『思考』し『感じ』それにより『心身』や『言動』に『影響』がおよぼされているとも考えられているらしい。
●赤いハートは『ハートのチャクラ』をあらわしている。
『ハートのチャクラ』は・・
自然にわきあがる純粋な『恋する気持ち』や『情熱』や『まごころ』によって『真実の愛』を生きようとする『性エネルギー』が宿っているチャクラであり『ハート・こころ(心臓)』と関わりがある。
『こころ』は、神様(=自然)とつながっているため・・
『こころ』にしたがって生きていると『本当の自分』を生きることができ、人との関わりに『まごころ』を交わしていると『人』として美しく安らかに生きられるようになる。
●男性と女性が密着・結合しているオレンジは『仙骨のチャクラ』をあらわしている。
『仙骨のチャクラ』は・・
なんとしても生き延び子孫を残す『生存』と『子孫繁栄』の『生き物(獣)』としての『使命』をまっとうするための『本能の欲求』を満たすことに『快感』や『快楽』を得ることができる『性エネルギー』が宿っているチャクラであり・・
生きることに『甘さ』や『潤い』をもたらし人生を彩り豊かに『よろこび』に満ちた美しいものにすることができ・・
また・・
『恋する気持ち』や『情熱』によって、あらゆるものを生み出す『創造』に関わるエネルギーが湧きあがるところでもあり・・
こどもが宿る『子宮』や『内なる傷ついた子ども』が住んでいる『おなか(腸)』の『丹田』と関わりがある。
『本能の欲求』を満たそうとするこの『性エネルギー』を忌み嫌ったり、抑えたり、無視したり、また、その逆に『本能の欲求』のままに『快感』や『快楽』におぼれ不健全な方法でこの『性エネルギー』を浪費してしまうと・・
『生き物』にとって生きる基本となる『食べる・眠る・排泄する』ことがままならなくなり、自分を肯定することも信じることもできなくなり、生きていくこと自体が辛く厳しいものになってしまうため・・
この『性エネルギー』を敵にまわしたり、ふりまわされたりすることは、危険をともなうことになる。
『第三の目のチャクラ』『ハートのチャクラ』『仙骨のチャクラ』は『エネルギー』のとおり道であり・・
上の絵をよく見ると『第三の目のチャクラ』と『仙骨のチャクラ』は線でつながっていても、赤い『ハートのチャクラ』は端っこだけが触れているのにすぎず・・
これは『あたま(損得にからむ欲求)』や『からだ(動物的な肉体の欲求)』の方が優位になり『こころ(本当の気持ち)』がないがしろになっていることを意味していて・・
『生き物(獣)』でありながら『人』として生きていくための『本能の欲求』を満たそうとするとき『からだ』と『こころ』の『性エネルギー』が『バランス』よく機能できないため・・
『無意識』のうちに『善悪』や『損得』や『上下』や『優劣』が『あたま』のなかでめぐってしまい、純粋な気持ちのまま『恋』をしたり『仕事』をすることができなくなってしまうのである。
とはいえ・・
だれもが多かれ少なかれ『善悪』や『上下』や『優劣』の関係を気にしたり『損得』をはじいたりするのは普通のことではあるが・・
『利益』や『保身』のためになる『条件』『安定』『世間体』『見ばえ』の方にひっぱられ『お金』や『地位』や『名誉』を得ることを目的にした『物質的な欲求』や・・
自分の『欠け』を埋め『傷』を癒やしたいという『我欲』により『苦しみ』や『悲しみ』や『寂しさ』を埋めることを目的にした『性や食の欲求』が満たされれば・・
それで『しあわせ』になれると思い込んでしまうと、自分の本当の『こころ』の『よろこび』や『安らぎ』や『しあわせ』がなんであるのかがわからなくなってしまうのである。
けれど・・
この3つのチャクラがしっかりつながり『バランス』がとれるようになると『本来の本能』にしたがった『本性』を発揮することができ・・
自分の『個性』や『才能』を活かした好きなことや得意なことを『仕事』にして『ワクワク』しながら励んでいると『自立』でき、自分の足で立って『自由』に生きることで、愛する人と結ばれ家族をつくり『子孫』を次の世代に残すことができるようになる。
そのうえで・・
『性や食の欲求』が満たされたり『お金』や『地位』や『名誉』が得られるのは、大きな『よろこび』や『しあわせ』となる。
上の絵のふたりは『男性性』と『女性性』の『分離の幻想』のなかで『コントロール』の世界による愛がいかなるものであるかを学びながら・・
これら3つのチャクラをつなげ『バランス』を整えることができると、密着している関係から解放され『真実の愛』にたどりつくことができる。
自然のルールものぞいてみてね。