互いに惹かれあう『真逆の性質』のふたりが『相互理解』により、互いに『思いやり』あい『歩み寄る』ことで『ありのままの相手』のことも『ありのままの自分』のことも愛せるようになると・・
『男性性』と『女性性』は『相互補完』がなされ『統合』でき『一心胴体』の『ひとつ』の『完全なる魂』に還ることで『真実の愛』を生きていた『楽園』に還ることができ・・
ふたりは互いに『自分らしく』輝きながら互いに『花』を咲かせることができる。
これらすべての内容は、サーアイアイの『洞察』によるものです。
『こころの傷』による『行き場』をなくした満たされない『辛い気持ち』と『愛を求める気持ち』がもれだし『モンスター』になってしまうのだが・・
そのかたわらには『ヘビ』がお供していて、似たような『こころの傷』をかかえ、さらに『男性性』と『女性性』の『バランス』がコインの『表と裏』のような関係にあるふたりを惹き合わせ・・
ふたりが『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするために仲良く協力しあうことで、互いの『こころの傷』が癒やされ『男性性』と『女性性』が『統合』できることを『ヘビ』は願っているのであるが・ ・
真逆の『性質』をもっているがゆえに互いに無いものをもっている相手に強く惹かれ恋におちるようになったふたりは・・
やがてなれあいになり『本性』をだすようになると、自分の『影』の姿を相手に『鏡』のように映しだし『古傷』が痛みだすため・・
恋しいのに憎んでしまう、愛し愛されたいのに傷つけてしまう『コントロール』の世界による愛の『ドラマ』を繰りひろげ・・
『こころの傷』は癒えないままになるか、もっと深く傷ついてしまうようになるのであった。
こんなふたりのようすを見て元気をなくしている『ヘビ』を見守り、ふたりを『自立』に導こうと『白ヘビ』が現われている。
男性性⇒男性の性(さが・性質)
女性性⇒女性の性(さが・性質)
『男性性』と『女性性』は、凸凹の関係であり、+極と-極のように相反する性質をもっているため、互いにひきあう性質があり・・
ふたつの『性』が結ばれると『完全』になれる。
こんな『男性性』と『女性性』をだれもがお父さんとお母さんからもらって生まれてくるため、みんな『男性性』と『女性性』をあわせもっていて、その配分や質の違いがその人の『性質』となるのであり・・
『からだ』は女性でも『こころ』は男性、『からだ』は男性でも『こころ』は女性の人もいるのである。
なので・・
互いにひきあうふたりの関係は男・女とばかりに限らず・・
男性同士や女性同士でも『男性性』と『女性性』のバランスが、コインの『表と裏』のような関係にあり、同性を愛することが自然であると感じるふたりは、同性同士でも互いにひきあい恋におちる。
こうして・・
恋におち『甘さ』を求めながらも、互いの『影』の姿を『鏡』のように映しあうことで生まれる『葛藤』や『苦しみ』を超える『過程』において・・
『相互理解』を得て、互いに『思いやり』あい『歩み寄る』ことで『相互補完』がなされ『ありのままの相手』のことも『ありのままの自分』のことも愛せるようになると『魂』は大きく成長でき・・
『男性性』と『女性性』は『統合』して『完全なる魂』に還ることで、互いに『花』を咲かせ、互いに『自分らしく』輝きながら『真実の愛』を生きられる『楽園』に還ることができる。
このことをふまえながら『男性性』と『女性性』が、どのように成長していくかをたどってみることにしよう。
*ウィーキー(男性性)とピュアリー(女性性)が幼いころは・・
- 『清く美しく生きたい!!』と天使のような純粋な『こころ』をもっていながらも、ちょっとお調子ものの女の子であるピュアリー・・
- 「正義の味方・・参上!!」とばかりに強くカッコよく生き、何でも一番になりたがり、将来は立派な人になって、お金持ちにもなりたい、そんな夢をもち強そうにふるまっていても、本当は気が小さくて弱いところもある単純な男の子であるウィーキー・・
そんなピュアリーとウィーキーは、仲良しこよしだった。
ピュアリー(女性性)は・・
- 可愛いものやおままごとや赤ちゃんのお世話をする遊びが好きで、お母さんがしていることを真似したがっている
- 単純なウィーキーのことを遠目で眺め「男の子って幼稚なんだから・・」と思っている
こんなピュアリーはウィーキーよりおとなで『母性』がすでに芽生えている。
ウィーキー(男性性)は・・
- 積み木やブロックを組み立てたり、虫をつかまえたり、動く乗り物が大好きで、男の子同士で体を動かして遊ぶことを楽しんでいる
- からだを大きく動かすことが得意で、単純に自分がしたいことを楽しむあまり女の子を泣かせてしまうこともある
いつもカッコよく見せたいという気持ちと欲しいと思ったものは、絶対に手にしたいとう『ハンター的』なところがすでに芽生えている。
*ウィーキー(男性性)とピュアリー(女性性)が思春期になると・・
お年頃になったピュアリーは『赤いハート』を手にするようになり、ウィーキーに「射止めて・・♡」といわんばかりの『恋ごころ』に頬を染めるようになった。
一方、ウィーキーは、ピュアリーの放つ神秘的な『魔力』にひきつけられ『赤いハート』を射とめずにはいられなくなり『恋ごころ』に『情熱』を燃やすようになった。
そうして・・
どうしたら、カッコいい自分になってピュアリーの『赤いハート』を射とめることができるか『あたま』は、そのことでいっぱいだった。
ウィーキーとピュアリーの純粋な恋のエネルギーはふたりを『太陽』と『月』のように照らし輝かせ、人生に『よろこび』と『彩り』をあたえ『イキイキ』とさせているのであった。
*傷ついたウィーキー(男性性)は『なんとか癒されたい・・』とピュアリー(女性性)に身勝手な愛を求めるようになった・・
ウィーキーは、神様からの『使命』である『生存』と『子孫繁栄』のために一生懸命はたらき、家族や愛する人たちを守る『防衛』のために『命』をかけて戦かっていた。
けれども・・
戦うたびに、ウィーキーの『からだ』も『こころ』も傷つき、すさんでいった。
しかし・・
傷ついたのは、ウィーキーだけではなかった。
ピュアリーもまた、戦いのために離ればなれになったウィーキーの安否が気がかりで『こころ』は深く傷ついていた。
それにもかかわらず、ウィーキーは『からだ』と『こころ』に負った傷をなんとかピュアリーに癒してもらいたくて、ピュアリーの傷ついた『こころ』に思いを寄せることもせず『赤いハート』を強引に射とめようとしたのだった。
怒って泣いているウィーキーの目は、悲しみと憎しみでいっぱいだった。
そんなウィーキーが泣いてすがってきたら『母性』あふれるやさしいピュアリーは癒してあげようと、なんでもしてあげるのにちがないと思った『白ヘビ』は、ウィーキーからピュアリーを守ったのだった。
目がにごってしまったウィーキーにとって、ピュアリーの『やさしさ』は、むしろ『あだ』になり、ますますウィーキーを弱くし、ピュアリーまでもっと深く傷つき、ふたりとも『ボロボロ』になってしまうことを『白ヘビ』はおそれていたのだった。
それで・・
『白ヘビ』は、ピュアリーに『真実の愛』とは・・
自分を犠牲にして尽くすものではなく、ときに『厳しく』相手を突き放し、相手のもっている『生きる力』を『信じ見守ること』で、相手の『生きる力』をひきだすことが『真実の愛』となることを伝え・・
どんなにウィーキーと離れるのが辛くても切り離すために『赤いハート』の『温かい愛』をウィーキーの傷ついたハートに注ぎ『赤いハート』を射とめるために放たれた矢を『ヘビ』に向けたのだった。
ウィーキーに向けた『赤いハート』の光には『本来の姿』をとりもどすことができる・・と『信じる愛』がこめられていて・・
『ヘビ』に向けた矢には『歪められた本能』によって暴走しているウィーキーの衝動をしずめ、ウィーキーが『目を覚まし我に返る』ような『気づきのパワー』をこめていたのであった。
そして・・
いくら傷ついていたとしても、自分の『我欲』のためだけに、人の『こころ』や『からだ』を手に入れようとしたり、傷つけたりすることは、あってはならないことに気づいてほしかったのだった。
こうして・・
ウィーキーは、自分の『過ち』に気づき『こころ』をいれかえ、自分が好きなことに精一杯、励むことで『仕事』に精をだし、自分の足で立って歩くことができるよう努めたのだった。
ピュアリーの方も、ウィーキーのことがすごく心配でなんとかしてあげたい気持ちでいっぱいだったけれども、そんな自分の『弱さ』を克服するためにも、寂しい気持ちをぐっと抑え、自分の足で立って歩くために自分がしたい『仕事』を見つけ、ウィーキーのことも忘れるぐらいその『仕事』に精一杯、励んだのだった。
こうして・・
月日がたち、それぞれが自分の好きなことを『仕事』にして、毎日を『イキイキ』と楽しく過ごし、自分の足で立って歩くことができるようになったある日、偶然、ウィーキーとピュアリーは出会ったのであった。
このときのウィーキーの目は、あの若かりしころと同じように澄んで美しく輝き・・
ふたりは目と目があった瞬間、懐かしさでいっぱいになり『究極の癒し』を感じ温かい涙を流したのだった。
実は、ふたりとも密かに『再会』をずっと願っていたが、本当に『再会』できるとは・・
この『奇跡』に感謝しながら、再び純粋な『恋ごころ』と『情熱』がわきあがり、ふたりは愛を育むことを誓ったのだった。
もし・・
あのとき『白ヘビ』の導きにしたがわず『男性性』側に傾き過ぎたウィーキーを『女性性』側に傾き過ぎたピュアリーが、受けいれてしまったら、もっとウィーキーは荒れすさみ、ピュアリーは尽くしても尽くしても報われることなく、ふたりとも力を弱めあい『ボロボロ』になっていたね・・と、笑い話ができるようになっていた。
それぞれが、好きなことを仕事にして『自立』できたからこそ、再会できたことに『感謝』しながら・・
ふたりは、互いに協力しあいながら好きな『仕事』にますます励み、共に『花』を咲かせ、やがて子どもを授かり『実』を結び『しあわせ』な家庭を築きながら、共に輝きあい、生涯、こころ安らかに『真実の愛』をつらぬき『しあわせ』な日々をおくったのだった。
では・・
『男性性』と『女性性』の違いをみることにしよう。
- 小さいけどたくさん『種』をまき、的(目標・夢)に向って力強くつき進み一番になりたがる精子(男性性)
- 精子よりずっと大きく、一番、優秀な精子が無事にたどり着くことを信じ、じ~っと静かに待っている卵子(女性性)
こんなミクロの世界であっても精子と卵子は『男性性』と『女性性』の特徴を現わしている。
♂男性性・・
- 『子孫繁栄』のために多くの女性と交わり『種』をたくさんまきたいと思う性
- 好きな女性(メス)や獲物を追い、射止めようとする性
- 好きな女性(メス)に獲物を贈り、ほめられ感謝されることで男っぷりをあげたいとおもう性
- 狙った獲物を捕らえるために一点集中するため、ひとつのことしか気がまわらない性
- 大きな目標を達成するため仲間たちと一致団結する仲間意識が強い性
- 悩みや心配ごとに関しては、問題解決する方向に『思考回路』がめぐる性
- 大胆・おおざっぱであり細かいことにはこだわらないが、危険などはすぐに察知する性
- あけっぴろげであり、見てはいけないものをのぞきたい性
- 肉体的に『からだ』がじょうぶにできている分、精神的には変化に弱く『こころ』がポキっと折れやすい性
- 女性の笑顔に励まされ、女性の涙に弱く、愛するものを守り養いたいとおもう性
- 外に放ち発信するエネルギーであると同時に、やってくるものを跳ね返すエネルギーをもっている性
♀女性性・・
- 『子孫繁栄』のために一人の男性に愛を捧げ、愛し愛され、子どもを立派に育てあげたいと思う性
- 自分と子どもたちのために懸命に働く好きな男性(オス)に尽くしたいと思う性
- 優秀な子孫を残すために相性がいい男性(オス)や素敵な獲物をゲットできる強い男性(オス)にひかれ、甘えたりおねだりしたい性
- 子育てしながら家事もこなし、いくつものことが同時にでき、まわりのことによく気がまわる性
- おしゃべり好きで情報交換がうまく、共に助け合うコミュニケーション能力が高い性
- 悩みや心配ごとに関してはその辛い気持ちに共感してもらい、話を聞いてもらいたい性
- 繊細・こまやかにさまざまなことに気がまわる性
- 控えめであり、見られたくないものをかくしたい性
- 肉体的には力が弱い分、精神的には変化に強く、やわからくしなやかな『こころ』をもっている性
- 『笑顔』を絶やさず明るく温かいこころで家族を愛し、愛するものを励まし育て支えたい性
- 子どもや家族の健康と安らぎのために、家族の異変に敏感に気づく性(男性のウソも鋭く見抜く)
- 内に込め受けいれるエネルギーであると同時に、やってくるものを吸収するエネルギーをもっている性
このように『男性性』と『女性性』は、相反する『性質』であるがゆえに惹き合い、互いの足りないところを仲良く補いあい協力しあうことで『補完』できると・・
神様から授けられた『使命』である『生存』と『子孫繁栄』を楽しくまっとうすることができるため・・
男性は外に出て獲物を捕らえ、家族の安全を守るための力仕事をし、女性は内で家族が気持ちよく暮らせるよう家事と子育てをしながら農作物をつくり男性の帰り待つという男性と女性の『性』を活かす『役割』ができあがっていった。
このような男性と女性の『性質』の違いは、何としても生き抜きより優秀な子孫をよりたくさん残したいという『ホルモン』と『思考(脳)』によるものである。
以上のことを踏まえたうえで、男女間の『すれ違い』をみていこう。
妻(女性)にしてみたら・・
夫以外の男性や獣(肉食獣)たちは、自分の身体と子どもを狙う外敵であり、この恐怖と不安のなか、お腹をすかしている子どもたちと夫の帰りを待つのは心細いものである。
それにもかかわらず、夫(男性)は・・
獲物を捕らえることに一生懸命になり、狩りが楽しくなればなるほど、オスの性(さが)が活性化し、よりたくさんの子孫を残したいという『本能の欲求』も自然にわきあがり、ほかの女性(メス)と交わりたくなってしまう。
その結果、妻や子どものことも気にはなりつつも、家に帰るのが遅くなるのはオスの性(さが)がなせることでもある。
そんな夫を迎える妻としては・・
獲物を持ち帰ってきた夫に本当は気持ちよく『感謝』を伝えたい、けれどそれ以上に「なぜ、もっと早く帰ってきてくれなかったの・・」という自分の不安や寂しさをわかってほしい気持ちが先立ち、不満の方がつのってしまいついつい夫を責めてしまう。
そんな妻の性(さが)としては・・
外敵からの『恐怖』とお腹をすかしている子どもたちのためにも、夫には仕事を終えたら、すぐに帰ってきてほしいのに、夫が自分以外の女性に時間や獲物を差し出すことは、自分や子どもたちの死活問題に関わることであり、夫の帰りが遅いことと浮気は、絶対に許せないと思ってしまうのは当然のことなのである。
なので・・
夫がほかの女性に目をやったり、いつもと違う行動をしているとき、疑いの目で夫を『監視・干渉』してしまうのは、自然に備わっている女性ならではの『本能』でもある。
とはいうものの夫にしてみたら・・
命がけで獲物を捕らえて差し出したのにもかかわらず、お礼の一言もなく、小言を言われたり行動を見張られるのは、どうにも腑におちず、外で仕事を楽しく励むことも妻以外の女性と息抜きするぐらい自由にさせてほしいと願い、妻が怒ることが理解できず不満を募らせてしまう。
一方、妻の方でも・・
自分の家族とほかの女性のことは『関わりがない別物』としてしまう夫の『思考回路』をどうしても理解できず「本当は夫がいけない!!」とわかっていたとしても、夫と関わりをもつ女性に対して激しい怒りと嫉妬を抱くのも『本能』がなせる自然な『感情』なのである。
-
男性は、仕事に励み多くの子孫を残したい
-
女性は、優秀な子孫を残すために、自分と子どもを愛し守ってもらいたい
どちらも『生存』と『子孫繁栄』のために、一生懸命、生きようとしているだけなのに・・
真逆な『性質』をもつふたりにとっては、互いの『性』の言い分を『理解』することは難しく、ふたりの『矛盾』は並行線をたどり、埋まらない『溝』は深まるばかりだった。
けれどもこのままでは、夫は家に帰りたくなくなり、妻はますます不安と不満を募らせ『情緒』が不安定になってしまう。
これではふたりにとって、仕事や家事や子育てにまで支障をきたすことを察知したふたりは、仲良く家庭を築いていきたいと願うようになった。
そこで・・
『生存』と『子孫繁栄』のために、一生懸命、生きているという互いの『性』の違いを踏まえたうえで、ふたりがめざす『生活スタイル』に適応した『暮らし』を楽しむために、どうしたらいいかを『対等』な立場で話しあうようになった。
その結果・・
自分にはとうてい真似のできない『異性』の『性質』として・・
-
男性性⇒力仕事と父性により、家族の安全を守り養うことができる
-
女性性⇒出産と母性により、子どもを産み育て、細やかなやさしさで家族のお世話をすることができる
仕事も家事も子育ても遊びも『対等』に楽しみながら、ふたりで笑顔になれるように・・
-
互いの『性質』をポチっと、自分に加えることで自分の『性』の質をあげ
-
互いの『性質』がいき過ることがないよう、お互いにほどよく節制しあう
ことを話しあい努力するようにした。
*互いの『性質』をポチッと、自分に加えることで自分の『性』の質をあげるために・・
砂糖水にまるで真逆の塩をほんの少し加えると、砂糖水は甘さを増し『本来の質』が高まるように、互いの『性質』をポチッと加えるように努力した。
こうして・・
*『こころがける』といいことを実践するようにした
- 女性性の『共感し寄り添う気持ち』と『何でも話してほしい気持ち』を男性性にポチっと加えることで⇒相手を『思いやる』ことや『ひとりでかかえこまず』相談できるようになり、男性性はより鮮やかになった
- 男性性の『客観的・論理的・具体的思考』と『自分の意思を持つ』ことを女性性にポチっと加えることで⇒相手に端的にわかりやすく話しをすることや『がまんばかりしない』ことができるようになり、女性性はより鮮やかになった
こうして・・
男性はまず、話を最後まで聞き相手の悩みや困りごとや不安や心配に共感しながら、相手の気持ちをわかろとすることと、何かを『決断』したり『行動』に移すときは、ひとりでかかえこんだり決めたりせず、たいせつな人に相談するようにした。
とはいえ、男性は人の話をきくと相手のためを思い、悩みを解決しようと、脳が働いてしまい気持ちを『思いやる』ところまで気がまわらないことを女性側も理解し、ただ話しを聞いてもらいたいときは「ただ話しを聞いてくれるだけでいい」と伝えておくと、男性の方も女性の気持ちをわかろとすることができるようになった。
また、男性が無口になっているときは、自分のことをじっくりひとりで考えたいのだということを女性側が理解し、すこしだけ放っておいてあげながら「なにかに悩んでいる?」など、そっと様子をうかがうと、男性の方も打ち明けやすくなった。
一方、女性はまず、悩みを解決したくて話したいのか、ただ話しを聞いてもらいたいだけなのかを決めておいて、悩みを解決するために相談をしたい場合は、具体的・端的に悩みを伝えることと自分の意思をしっかり相手に伝えるよう努めた。
とはいえ、女性は問題が起きるまでの『過程』や『心情』を伝えることで、より相手に伝わりやすくなると、脳が働いてしまうことを男性側も理解し「何に悩んでいるかを話してから、じっくり内容を聞かせてほしい」と伝えておくと、女性の方も男性に自分のことを聞いてもらえることに安心するようになった。
また、女性が元気がなかったり『イライラ』しているように見えるときは、言いたいことを言えずにいることを男性側が理解し「困っていることがあるなら聞かせてほしい」とやさしく伝えると、女性の方も自分の気持ちを伝えやすくなった。
以上のことは、男性や女性の『性質』として現われやすいことではあるが、男性性が強い女性や女性性が強い男性だと、ここにあげた『性質』は逆転することにもなる。
*それぞれの『性質』が行きすぎないようにするために・・
- 男性性の『性質』である「○○であらねばならない」「〇〇してはいけない」という『否定からの強要』が強くなってしまうと、反発や反感が起きてくるので⇒女性性の『性質』である「〇〇してみたらどうだろう?」「〇〇してみない?」という『受けいれからの提案』にシフトして相手のやり方やペースをうかがい見守りながら、自分や人やものごとに対して厳しくなってしまう『癖』を手放すよう努力した
-
女性性の『性質』である「〇した~い!!」「〇〇したくな~い」「〇〇してあげたい」という『甘え』が強くなってしまうと、わがままになり辛抱ができなくなってしまうので⇒男性性の『性質』である『我慢や頑張り』の小さな積み重ねをするよう促し「少しだけ我慢してみよう!!」「少しだけ頑張ってみよう!!」「ここまでなら〇〇してもいいよ」と提案し自分や人やものごとに対して甘くなってしまう『癖』を手放しながら「自分にもできる!!」という小さな『達成感』を味わえるように努力した
- 女性性の『性質』である控えめで男性や目上の人に自分の気持ちを伝えることをおさえてばかりになると、我慢ばかりして本当の気持ちを伝えられず苦しんでしまうので⇒男性性の『性質』である「自分の意思や気持ちを伝える!!」ようシフトして、自分の本当の気持ちを表にだす努力をした
こうして・・
「○○はどうかなぁ?」という感じで一方的な押しつけにならないように、相手の『気持ち』や『考え』をうかがい、相談や提案をしながら「○○してくれたら・・」助かります・ありがたいです・うれしいです・・という自分の正直な気持ちも添えるようにした。
また・・
自分の気持ちを伝えることで相手の気持ちを損ねてしまうかもしれない・・という『思い込み』を手放し「だいじょうぶ、うまくいく」という『思考』に切り替え『勇気』をだしてこわがらず自分の本当の気持ちを伝える『潔さ』と『図太さ』を身につけるようにした。
これらのことをふたりで『修練』して、互いの違いを認めあいながら互いに本当の『気持ち』や『望み』を打ち明けることで『思いやり』をもちつつ『歩み寄る』ことができるようになっていった。
けれども・・
まだ、互いに理解できないことに『イライラ』することもあり、それをなくすためにはどうしたらいいかを考えてみた。
その結果・・
男性と女性の『性質』の違いは『ホルモン』と『思考(脳)』によるものであり『感情(感じ方)』や『思考(考え方)』の違いはどうすることもできないことを互いに理解したうえで多少のことは大目にみるように努力した。
例えば・・
-
どうしても、なおせない習慣や癖や趣味は、相手の『個性』のひとつととらえ、多少のことは大目にみる
-
どうしても、素敵な異性を目で追ったり、うっすら笑ってしまのは『性(さが)のなせること!!』と大目にみる
-
ついついしたいことに夢中になりひとりの世界にはまってしまうことは大目にみて、それに費やす時間だけは決めるようにする
- ついつい、支度に手間取ったり時間に間に合わず待たされることがあっても、多少のことは大目にみる
-
子育てに忙しく、自分にあまりかまってもらえなくなったことは大目にみて、その代わり家事や育児のお手伝いをして『ありがとう』と『笑顔』をもらうようにする
-
仕事で疲れ帰ってきたときにあまり話をきいてくれないことは大目にみて、その代わりお弁当にメモをそえて話せる時をたずねるようにする
などなど・・
今までは、許せないと思っていたことにも「これも『性(さが)』の違いだよね、まぁ~仕方ないかぁ~」と大らかになることで気持ちは『楽に』なっていった。
また・・
相手の至らなく見えるところやなおしてほしい思うところがあった場合も、自分にも案外、相手に我慢させているところもあるかもしれないと考えることで・・
相手に『減点』をつけるより相手の『たいへんさ』やいいところを見つける『加点』に『思考』を切りかえることで『感謝』できるところが増えていくと、こころに『ゆとり』が生まれふたりの呼吸も少しづつあうようになっていった。
さらに・・
見た目による『性』の『役割分担』より、それぞれがもつ『性質』の違いを認めあい『得意分野』を伸ばし『不得意分野』を補いあったり、もしできるのであれば、少しずつ『不得意分野』を克服できるよう互いに励まし努力することで、それぞれの『個』が輝くようになった。
こんなふたりが、学んだことは・・
-
一方的な考えの『押しつけ』や『命令』や『指示』や『拒否』や『無視』では互いを『コントロール』しあうばかりで一向に『溝』はうまらないので、自分のことをわかってもらうためには、まずは相手のことをわかろうとする『思いやり』をもつことのたいせつさ
-
互いに自分の正直な『気持ち』や『望み』を伝えながら『笑顔』になるためには、相手と誠実に向きあい『対話』を重ねながら『歩み寄る』努力のたいせつさ
などに気づかされた。
こうして・・
『敵』だと思っていた相手がすこしづつ『味方』に近くなってきて、相手の『ご機嫌』をうかがう必要もなく、互いに『本心』や『本音』で何でも話し合うことができるようになり、自然にふたりは『笑顔』になれるようになっていった。
互いの『自由』も尊重できるようになり、互いに『干渉』しすぎない程よい『距離感』を保つことで衝突がなくなり・・
それぞれに自分の趣味や娯楽を楽しむ『プライベートタイム』も、もてるよう助けあうことができるようになったり・・
時には、子どもを信頼できる人にあずけ『恋人どうし』の時間をもち、ふたりの『楽しみ』や『コミュニケーション』をとりあうことで『愛と絆』を深めていった。
こうして・・
水と油のような関係だったふたりが『男性性』と『女性性』を『相互理解』して互いに『思いやり』あい『歩み寄る』ことで、互いに足りないところを仲良く補いあい励まし協力しあって『相互補完』がなされたことで・・
『男性性』と『女性性』は統合され、互いに自分の『花』を咲かせ『自分らしく』輝きあえる『真実の愛』を生きられるようになっていった。
けれども・・
あまりにも『男性性』と『女性性』が傾きすぎ『コントロール』の世界の愛にはまるようになった関係の場合は・・
夫婦であれ恋人であれ親子であれ・・
- 自分が、いてあげなくては・・
- 自分が、相手をなんとかしてあげたい・・
- 自分が、がまんすればいい・・
こんなふうに思ってしまう裏には・・
- 相手の『特質』である『個性』や『才能』の『素晴らしさ』と『強さ』を信じられず相手の『自立』の力を信じてあげられないこと
- 相手の『ありのままのありよう』を認めることができないこと
- 相手に対して『加害者意識』や『被害者意識』や『おそれ』や『罪悪感』をもっていること
などが潜んでいるのである。
相手を認め肯定できないがために、相手の『生きる力』を信じきれない自分がいることに気づく必要があり・・
実は、自分の『影』である『内なる傷ついた子ども』の『こころの傷』が癒やされていないがために、自分の『影』のことを『かわいそう』『なんとかしたいと』と思っている・・その姿を相手に映して見ているため・・
相手を『かわいそう』『なんとかしたい』と思ってしまうのである。
上記の『相手』のところに『自分』という言葉をいれてみると『自己肯定感』と『自尊心』の欠如によって『ありのままの自分』を認め肯定できない自分がいることに気づくようになり・・
『自立』することへの『おそれ』と自分の『自立』する力を信じきれない自分が潜んでいることに気づくようになる。
本来であれば『表』の自分と『影』の自分がほどよい距離をとって、共にあり『共存・共栄』することが自然であるのだが・・
『コントロール』の世界による愛にはまるようになってしまうと『歪められた本能』に操られ・・
『無意識』のうちに『食』と『性』を得るために「相手がいなければ生きていけない」「相手も自分がいなければ生きていけない」という強い『思い込み』によって・・
『密着』したまま『影』の姿を見せてくれている相手と離れられなくなり、これが『愛』だと盲目的に信じているため、相手を放っておくことができず「自分がなんとかしてあげたい」「自分が相手を変えてあげたい」などと思ってしまうのである。
こうして・・
恋い焦がれる気持ちと離れがたく思う『情(じょう)』にほだされ、ふたりは『密着』して離れられなくなり・・
互いに、もともともっている『自立する力』を信じることができず足腰を弱くしながら、自分や相手が『自立』できないのは、自分や相手の『至らなさ』や『弱さ』や、またなんらかのせいによるものだと決めつけ・・
自分や相手を哀れんだり、なんらかのせいによることを憎んだりして『被害者意識』をもちながら・・
自分の足で立って『自由』に歩くことができないまま『きつい坂道』を盲目的に登っていくしかないと『思い込み』片方が倒れると共に倒れてしまう『共依存』の関係から抜けだすことができなくなってしまうのである。
うすうす、相手と離れた方がいいことがわかっていたとしても、どうしても、離れがたく恋しく感じてしまうのは『影』とは切っても切れない関係にあるからなのであり・・
『影』のなかにいる『弱くて』どうしようもない自分や『至らない』ところがある自分を『表』の自分がわかろうともしなかったことに気づき「ごめんね・・」となだめながら・・
抑えつけてきた辛く苦しい『気持ち』を吐き出させてあげ、本当の『気持ち』や『望み』をかなえてあげるために・・
人の助けを借りながらでも、自分が本当にしたいこと・楽しくできることをさがして、自分の足で立って歩く『自立の道』に進むためにその相手と離れることがたいせつであり・・
その『覚悟』と『強さ』をもってしなければいつまでたっても、自分の『弱さ』を克服することができず、共にいる相手を変えたとしても、また、同じことを繰り返すことになってしまうことをよく肝に銘じる必要がある。
このとき ・・
- 相手に嫌われるのが怖くても
- 相手を悲しませるのが辛くても
- 相手がいなければ自分も相手も生きていけないと思ったとしても
-
相手から離れられなくなるような事態が起きたとしても
-
相手のことが、どんなに心配で気がかりになったとしても
-
自分のことを薄情で恩知らずだと思ったとしても
この『感情』は『自立』することを『おそれ』ているがゆえに『ヘビ』によって吹き込まれている『罠』であることに気づき・・
この『感情』を払いのけ、互いが『自立』に向けて前に進んでいくために、今までいたところから旅立ち『自分の生きる道』を歩いていけるように『白ヘビ』に助け導いてもらいながら、相手の『自立』も祈り離れることですべてがうまくいくようになる。
それはちょうど・・
上記のウィーキーとピュアリーのように『厳しさ』をもって『コントロール』の世界の愛から離れることで『自立の道』に進んでいくことができるのであり・・
『真実の愛』を生きるためには、この『プロセス』は欠かすことができず、最終的には、互いに『自立』でき『自分らしく』しあわせに生きていけるようになるのである。
もし・・
両親の仲や、親子の関係が、自分が望むものではなかった場合・・
-
お父さんの『男性性』が強すぎてお母さんがたいへんなおもいをしていた場合、お父さんみたいな人とは結婚したくないと思っていても、好きになる人はなぜかお父さんと似たようなところがある人だったり
-
お母さんの『女性性』が強すぎてお母さんの『いい子』『可愛い子』でいなくてはならないことから逃れようと結婚したのにも関わらず、いざ自分が母親になったら自分がされていたことを自分の子どもにもしていたことに気づいたりして・・
『コントロール』の世界による愛は『無意識』のうちに『連鎖』してしまうことが多い。
それというのも、親の『遺伝子』が子どもに引き継がれていくため『連鎖』するともいえるが『共依存』の『連鎖』を断ちきることがこの人自身の『魂』の『課題』でもあり・・
自分を『しあわせ』にするために自分の『生きる力』を自分のためにつかう『意識(思考・感情)』に変容することができなければ、同じ関係性が続くか、または逆転するかして『共依存』の関係は繰り返され後の世まで『連鎖』してしまうのである。
なので・・
この『連鎖』を断ちきるためには、弱くなってしまう自分を『白ヘビ』に助け導いてもらいながら『ヘビ』による『罠』を『聖なる剣』で払いのけ・・
『本来の本能』と『歪められた本能』とを『分別』し・・
- 自分の『人生』や自分の『しあわせ』を人にあずけたり、左右されることなく
- 人の『しあわせ』のために自分の『人生』を犠牲にしたり放棄したり、人の苦労を肩代わりすることなく
自分で自分を『しあわせ』にするために自分の『人生』の『ハンドル』を自分で握って、自分の『ご機嫌』を自分でとって、ありたい『本当の自分』を生きることに責任をもつ『自立の道』に進むことで・・
『コントロール』の世界による愛に、もう、はまることはなくなる。
このとき、たいせつなことは『弱い自分』を抱きしめながら『弱い自分』を克服する『胆(強い気持ち)』を鍛え・・
自分の『道』に進んでいくための『自分軸』をブラさない強い『覚悟』と『精神力』と『勇気』を身につけることが必要になる。
人として社会で生きていくために『あたま』を発達させ『理性』をもっている『男性』や『女性』であっても、根源的には『オス』と『メス』であり・・
どんなことがあっても生き延び子孫を残そうとする『生き物(動物・獣)』としての『使命』を果たそうとする『からだ』の方に忠実で『快感』や『快楽』をもたらしてくれる『ヘビ』の『性エネルギー』と・・
人として『清く美しく』生き、神様に近い存在になろうとして『精神』を高めようとする『こころ』の方に忠実でみんなと『笑顔』でいることの『安らぎ』や『よろこび』をもたらしてくれる『白ヘビ』の『性エネルギー』が・・
『バランス』よく働いているのが『本来の本能』であり、この『ヘビ』と『白ヘビ』の『性エネルギー』をあわせもっているのが『本性』である。
けれども・・
『本当の自分』を生きることを許されず『こころ』が傷ついたり病んでしまったため、その『傷』や『欠け』を何とか埋めようとして『無意識』のうちにわきあがってしまうのは『ヘビ』の『性エネルギー』であり・・
『あたま(損得)』や『下心(我欲)』によって、よからぬことを抱いてしまうのは、人のもつ『性(さが)』がなす『情(じょう)』や『業(ごう)』による『弱さ』なのでもあるが、こんなふうになってしまうのには訳があり・・
『白ヘビ』の『性エネルギー』の『清く美しく』あろうとするだけでは生きられなかった辛い『過去』をいやというほど経験したことにより『本性』の深いところには、相変わらず『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために、なんとか生き残ろうとする『ヘビ』の『性エネルギー』が『無意識』のなかで、強くうごめいているのであり・・
自分を制することもできないまま『我欲』のために、人の『性』や人のものを奪おうとしたり、傷つけてしまうことが起きてしまう。
当然、その『行為』は、決して決して許されるものではない。
けれども・・
このような『過ち』を犯してしまった加害者の歪んでしまった『こころ』の『更正』には根気が必要であり『こころの傷』を深いところから癒すことができない限り同じことが繰り返されてしまい、この『問題』を解決するのはとんでもなく難しい。
さらに・・
被害者の『こころの傷』を癒すためには『ゆるせない』おもいをそのままひきずっていたのでは、一向に『苦しみ』から解放されることはなく・・
『こころの傷』を癒すためには、なんとか『ゆるすしかない』こともわかっていて『あたま』では『ゆるしたい・ゆるせる自分になりたい』と強くおもっていたとしても『こころ』はそう簡単にわりきれるものではなく・・
ふとした瞬間や、なにかが『きっかけ(引き金)』となり『過去』の辛い記憶が『フラッシュバック』してしまうと『こころ』も『からだ』も痛みを『再現』して苦しんでしまうため・・
『生命』の根源である『源の愛』に関わる『性(せい)』の『傷』を癒やすことは、計り知れないほど難しい。
それでも・・
さまざまな辛い『過去』を体験してきた『男性』と『女性』の『こころの傷』を癒やすためには・・
『男性優位』の社会の構造を見直し、誰もがもともともっている『男性性』と『女性性』を『自分らしく』発揮できる社会にしていくことが必要があり・・
ぼくらの『本性』のなかにある『ヘビ』と『白へビ』の『バランス』をとり『本来の本能』をとりもどすことがたいせつになる。
『ヘビ』側に傾きすぎると『飽食・美食』『趣味・娯楽』『色恋』『地位・名誉』を得ることに囚われ、心身の健康を損ねたり『情』にほだされやすくなったりして『情緒』が不安定になりやすく・・
これらの『我欲』におぼれてしまうと『よからぬ道』に迷いこんだり『反社会的』なことをするようになってしまう。
かといって『白へビ』側に傾きすぎると『クリーンさ』や『正しさ』を追い求めることに囚われ『情』が薄くなったり『快感』や『快楽』に『罪』の意識をもち・・
豊かさやぜいたくを否定したり拒否したり、また規則正しく動く『ロボット』のようになったりして、人生に『彩り』や『おもしろ味』がなくなってしまうこともある。
なので・・
人間らしい『情緒』をとりもどすために、自然に触れ『感性』を開き豊かにすることができるようになると『あたま』と『からだ』と『こころ』は『バランス』がとれるようになり・・
『ヘビ』と『白ヘビ』が共に活性化され『本来の本能』をすこしつづ取り戻すことができるようになると『本性』が発揮され『本能』と『直感』を信頼した『神聖なる野生』を『生きる力』とすることができるようになる。
けれど・・
辛いことや苦しいことがあると『サバイバル(生き残り)』の『本能』が優勢に働き『ヘビ』に惑わされてしまう『弱さ』もはらんでいることを理解し・・
自分にも人にも『やさしく』なりながら、自分をほどよくほぐし律することができると『ヘビ』を『悪魔』や『敵』にまわすことなく『見方』につけて、この世を『平安』にする『白ヘビ』に導いてもらうことで・・
大らかになれて、人生を彩り豊かによろこびに満ちた美しいものにすることができるようになる。
自然界のオスとメスのように・・
男性(オス)は・・
女性(メス)に自分の素晴らしさを見せたり、贈りものをして、女性(メス)を『笑顔』にしたり『よろこばせる』ことで、男性(オス)としての『よろこび』を感じ『自信』がつき輝きが増す。
その『自信』から生まれた『パワー』によって『特質(個性・才能)』に磨きがかかり『種』が花開くと、その輝かしい姿と仕事ぶりに女性(メス)は惹かれ、信頼をよせるようになる。
こうして・・
女性(メス)は、自分や子どもの生活を守ってくれる頼もしい男性(オス)に惹かれ子どもを欲するようになり・・
男性(オス)と女性(メス)が結ばれ、やがて子どもを授かり安心して子育てに励むことができると『子孫繁栄』の『使命』を果たすことができるようになる。
『女性性』の『笑顔』と『感謝」と『励まし』と『信頼』は『男性性』の『輝き』と『自信』と『勇気』と『力』の源になり・・
『男性性』のさし出す『贈り物』に対し『女性性』が『笑顔』と『感謝』を送ると『男性性』は『女性性』から『赤いハート』を受けとることができ、輝きが増すようになる。
やわらかくて豊かな発想で、この世を丸く(〇)平和にすることが得意で、ちょっとお姉さんやお母さんのような『性質』がある『女性性』が・・
力仕事やものづくりが得意で、少年のような純真なこころをもち、ちょっと頑固で融通がきかないところもある『男性性』の四角(□)なところを上手にほぐして活かすことができると・・
『男性性』が生みだした『成果』を『女性性』が『ほめ感謝する』ことで『愛』がめぐり『男性性』も『女性性』も輝き『愛』に満たされ潤うようになる。
こうして・・
互いの『性質』を最大限に活かし発揮することができるようになると『男性性』と『女性性』は統合され、すべてが丸くおさまり『調和』が生まれる。
どんな人もお父さんとお母さんから『男性性(おしべ)』と『女性性(めしべ)』の『性質』をもらい、その両方をあわせもっていてるからこそ『花』を咲かせることができるのであり・・
自分のもつ『男性性』と『女性性』の『長所』も『短所』も、自分が『真ん中』に立ち「わかるよ!!」と認めたうえで『ありのままの自分』のことを愛し・・
『ありたい姿』の自分でいようとする『自分軸』を中心にすえ・・
『赤いハート』の『まごころ』で人と愛を交わすことができるようになると、原初のアダムとイブの姿と同じ『魂』にもどることができる。
こうして・・
長い間、宇宙を旅し『片割れ』どおしになっていたアダムとイブの『魂』が『分離の幻想』の深い眠りから目覚め・・
再びめぐりあうことで、長い間、抱えてきた『男性性』と『女性性』の『分離』の感覚と『こころ』にぽっかり穴があいた『欠け』の感覚はやっと埋まり・・
『男性性』と『女性性』は『統合』され『ひとつ』になることで『一心同体』の『完全なる魂』に還り『花』になることができる。
すると・・
『おしべ』と『めしべ』が『自然の愛』の力によって『受精』して『実』を結ぶように『生命』の『源の愛』に還ることができるようになる。
こうして・・
『愛』と『感謝』で満たされた『楽園』に還ることができた『ふたり』は『暮らし』や『仕事』を共にする『パートナー』となり『真実の愛』を生きるようになる。
結婚というかたちをとることもあれば、異性との結婚とは限らない同性どうしの結婚であったり、結婚とは違う強い絆で結ばれた『愛のかたち』で共に生きることになる。
いずれにしても、共にいることで、深く深く癒やされ、怖いものなどなくなるほど強くなれる最強の『ふたり』が、それぞれに毎日を『よろこび』をもって、神様から『授けられた仕事』に『ワクワク』しながら励むことで、この世に大きな『奉仕』がなされるようになり・・
『こころのまま』に『自由』にしているだけで、彩り豊かな『しあわせ』に満たされた『楽園』で暮らせるようになる。
このような『男性性』と『女性性』の統合がすでになされ『楽園』で暮らしている人たちも、実はたくさんいて・・
- 自分の『こころ』に素直にあり、初恋を実らせたカップル
- お父さんとお母さんが仲良しで円満な家庭で育ったものどおしのカップル
などは、もともと『男性性』と『女性性』のバランスが『良好』なため・・
ふたりとも『あたま』であれこれ考えることなく『ありのまま』の『自分らしく』あることで『真実の愛』を交わしあい、すべてがうまくいき・・
互いに足りないところを仲良く補いあい、励ましあい協力することで、互いに『花』を咲かせ輝きあいながら『しあわせ』に生きることができるのである。
また・・
『男性性』と『女性性』が『統合』され『ひとつ』になることで『一心同体』の『完全なる魂』に還り『花』になることができた人のなかには・・
特定の複数の人と愛を交わしあう暮しを楽しむ人もいたり、性的な交わりを必要としないパートナーと共に生きることを望む人もいたり、ひとりでいることに『自分らしい』ここちよさを感じる人もいたりして・・
『しあわせ』の『かたち』も『ありよう』も多種多様にひろがっているため、人に『迷惑』や『危害』が及ばないのであれば、それぞれの『自由』が尊重された『しあわせ』な暮しにより愛が満たされれば、それが『真実の愛』になっていく。
自分のなかにある『男性性』と『女性性』の果たす『役割』は、関わる相手によって『反転』することもあり・・
まるで『真逆の姿』になってしまうこともあり、実は『色んな姿』の自分が自分のなかにいるともいえる。
なので・・
自分の「性質は〇〇だ!!」と言い切ることは難しく、ときには『男性性』の方が強く『表』に出たり、ときには『女性性』の方が強く『表』に出ることは、自然なことであり・・
見た目の『性』から「○○だから〇〇らしく」という『性』の『固定観念』やあの人は「〇〇な人だよね」とう『決めつけ』をすることはできないのであり・・
自分に対しても人に対しても『固定概念』や『決めつけ』を解き放ち『色んな姿』があっていい・・と認められるようになると・・
多様な姿に『思いやり』をもつことができるようになり『ありのままの自分』のことも人のことも認め愛せるようになる。
そのためには・・
いつでも『からだ』と『こころ』の声に耳をかたむけ、自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』に素直に正直にあることがたいせつであり・・
こうして・・
『陰陽の統合』と『男性性』と『女性性』が統合がなされると『楽園』で『真実の愛』を生きられるようになる。
『地球』や『宇宙』の愛とつながるものぞいてみてね!!。