ぼくらは、自分が『描いている世界』をとおして『現実』を見ているともいえるよ。
どんな『メガネ』をかけ、どんな『色づけ』をして世界を描いているか観てみよう!!。
自分のなかにあるものを『観察』して『本当の自分』に気づくことができたら『本当の自分』を生きるために、今までとは違う『意識(思考・感情)』になって『勇気』をだして『行動』を変えていこう!!。
ここでつかわれている『過去』は『過去世』も含む『過去』であり・・
『今、ここ!!』とは『今にOK!!』をだし『過去』も『未来』もない今、この『場所(空間)』のこの『瞬間(時間)』に完全に集中していることをいうよ。
そして・・
『今を生きる』とは・・
- 今、する必要があること
- 今、したいこと
- 今、自分にできることを・・
『今、ここ!!』を生きながら、することをいうよ。
〇ここに載せているすべての内容は、ぼく、サーアイアイが、自分のなかに深く入って、自分の中にある『影』を観察したことによる『体験』と『洞察』に基づいているものであり、医学的根拠があるものではありません。
この『場面』の『男女』を見てどんなことを思い浮かべた?
- 仕事の打ち合わせをしている
- ふたりで心配そうな顔をして話しあっている
- 互いに怖い顔をしていがみあっている
- 目と目を合わせ微笑みあっている
- 二人でコソコソ自分の悪口を話している
など・・
思い浮かべることは、人それぞれさまざまだよね。
それに・・
同じ人でも、その時々によって、思い浮かべることが違うこともあるしね。
いずれにしても・・
この『場面』の『男女』をとおして、自分のなかにあるものを映しだして見ているといえるよ。
それは・・
- 今、自分が抱えている問題であったり
- 今の『心理状態』や『気分』や『体調』の具合であったり
- 『命の根底』にある『本性』からわきあがるものであったり
- 人に見られているという『自意識』から生まれるものであったりして・・
ぼくらは『無意識』のうちに思い浮かべたことによる『メガネ』をとおして『現実』を見てしまうんだ。
でも・・
『メガネ』をはずして、この『場面』を見ると『男性と女性が向き合って立っている』という『事実』がそこにあるだけで・・
『男女』がどんな『状況』にあるかなんて思い浮かべることがないから、ただ通り過ぎていく『映像』を見ただけで『あたま』も『こころ』も『からだ』も『反応』しないでいられよね。
けれど・・
『ある場面』を見ただけで『無意識』のうちに『自動的』に『メガネ』がかかってしまうと『メガネ』の『フィルター』をとおして色んな『考え=思考』が浮かび、色んな『気持ち=感情』がわきあがってきてしまうんだ。
こうして・・
『メガネ』をかけて『色づけ』した世界を『現実』だと思ってしまうのが、ぼくらであり・・
自分のなかに思い浮かんだこと(想念)によって世界を描き、それをそのまま、外の世界に『映し出し(投影)』て見てしまうということなんだ。
特に、上記の5番目の『二人でコソコソ自分の悪口を話している』などのように、自分と関連づけて『ネガティブ』なことを思い浮かべてしまうと・・
自分にとって『イヤこと』や『こわいこと』が起きてくるかもしれないという『考え=思考』がめぐり『不安』や『心配』や『不信』がわきあがり「なにか悪いことでもしたかなぁ~・・?」などという『罪悪感』までわきあがってきてしまい・・
『平常・平静』でいられなくなり『ドキドキ』『モヤモヤ』『イライラ』した気分におそわれ『からだ』の調子まで悪くなってしまうんだ。
たったひとつの『場面』を見ただけでなにも起きていないのに『ネガティブ』な『メガネ』をかけ『色づけ』したばかりに『現実』を『灰色』にしてしまったということなんだ。
これと似た例として・・
暗い夜道を歩いていたとき人影のようなものが目に入った瞬間「幽霊が出た~」と思い込み「キャ~~」と叫びながら走って逃げ、その後も『ドキドキ』が止まらなくなってしまった。
けれど・・
実際には、人影のように見えていたのは、ただの『枯れ木』であり『幽霊』でもなんでもなかったということもあるぐらい『枯れ木』に『幽霊』という『色づけ』をしたばかりに怖くなってしまったということなんだ。
つまり・・
『もの(物・人)』や『こと(場面・出来事・状況・環境・現象)』に『メガネ』をかけて、あれこれ『色づけ』してしまうと『あたま』や『こころ』や『からだ』に影響がおよんでしまうということなんだ。
このように『ネガティブ』な『色づけ』をする『メガネ』もあれば・・
自分にとって『有利』なものであるという『考え=思考』がめぐり『うれしい』という『快』の『気持ち=感情』をわきあがらせる『ポジティブ』な『色づけ』をする『メガネ』もあるよ。
例えば・・
自分が発案した企画書を見せたところ『イイネ!!』という感じのニコニコ顔で受けとってもらったとき、その『雰囲気』から自分の企画書は認められ、ほめられている、さらには、自分は少なからず好感をもたれているという『ポジティブ』な『色づけ』をする『メガネ』をかけたことによって・・
『気分』がグッと上がり元気もでてきて、もっと認められたい・ほめられたい・好かれたいという気持ちから『意欲』が増し、仕事を頑張れるようになるよね。
こんなふうに・・
人に認められたり、ほめられたり、好かれていると感じる『ポジティブ』な『色づけ』をする『メガネ』をかけると『快』の『感情』がわきあがり『気分』がよくなるようにぼくらはできているんだ。
なぜなら・・
ぼくらはだれもが『不完全』であり、人に認められたり、ほめられたり、好かれていると感じることで人とつながれると、生きていくために必要なものがそろい、みんながいることで『完全』になれて、みんなが『笑顔』になれるように神様がしてくださっているからなんだ。
特に・・
自分にないものをもっている人に『素晴らしさ』や『好意』を感じたり、まったく真逆の『性質』を持っている『異性』ならなおさら、互いに足りないところを補いあい助けあうことによって『生存』と『子孫繁栄』の『生き物』としての『使命』をまっとうすることができるからであり・・
『異性』に認められたり、ほめられたり、好かれたりすることに『快』の『感情』がわきあがり『恋する気持ち』が芽生え惹かれあうのは『生き物』の生存にとって『有利』であり、自然なことでもあるからなんだ。
さらに・・
こんな男女が、互いに『本心(自分の本当の気持ちや要望)』や『本音(きれいごとでは語れない気持ち)』を交わしあい、ときには*『けんか』をすることがあったとしても、これによって・・
- 互いに自分では気づくことができない『弱点』や『苦手なところ』に気づかされ克服できたり
- 互いの願いに応えようと励んだことで、眠っていた『個性』や『才能』が開花し磨きがかかったりして・・
互いに『魂』を成長させながら『夢』や『希望』を叶えられるようになるんだ。
ここでいう*『けんか』は、相手のことを真剣にたいせつにおもっているからこそ、または『目を覚ましてほしい!!』という強い願いがあるからこそ、厳しい口調で伝えることで、相手の胸に刺さり・・
『雨降って地固まる』みたいになれるため『けんか』といえども『ネガティブ』なことにはならないんだ。
ぼくらにとって、認められたり、ほめられたり、好かれたりすることに『ポジティブ』な『色づけ』をする『メガネ』をかけるのは『命の根底』にある『本性』からわきあがるものであり・・
互いに『本心』や『本音』を交わしあい『信頼関係』を築きながら『魂』を成長させることができると、互いに自分の『花』を咲かせ『自分らしく』しあわせに生きていくことができるんだ。
そして・・
こんな『本性』があるからこそ、ぼくらは生涯、認められたい、ほめられたい、好かれたいという『承認欲求』によって、自分を磨き『魂』を成長させることができ・・
男女においては、この『承認欲求』のおかげで惹かれ合う気持ちが高まり『愛』を求める『気持ち』が『恋ごころ』になるんだ。
自然界の『生き物』たちのオスはメスにカッコいい自分を見て見てと『アピール』したり『贈り物』をしたりして『愛』を求める『気持ち』が強くなることで『恋』を嬉々として謳歌し『子孫繁栄』をまっとうする『よろこび』に満ちあふれているんだ。
ぼくらも、恋したものどうしがどんどん素敵に輝きだし、微笑みあい見つめあう姿は美しく・・
『生命』を生みだす『性』を交わし合うことは、最も尊く『神聖』なものでもあるんだ。
それなのに・・
- 社会の『ルール』や『教え』によって、男女の『恋する気持ち』は、はしたないものとされ厳しく『監視・干渉』され『抑圧・禁止』されたり
- 『恋する気持ち』や『性』を家の存続のためや権力のためなど、不純な目的や政治的な策略として利用し、歪んだものにしたり
- 両親の不仲や、自分自身の男女の関係において苦い『経験』があったりすると・・
『無意識』のなかで『恋する気持ち』に『いけないこと・けがらわしいこと・何か悪いこと』という『思い込み』や『決めつけ』がなされてしまい・・
純粋で素直な気持ちのまま『恋』をするというより『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『有利になる・ならない』とか、親や世間が『認める・認めない』という『条件』の方が優先され『不純なおもい』が入りこんでしまうため・・
認められたい、ほめられたい、好かれたいという『承認欲求』も『無意識』のうちに、不純な観点で『過剰』になってしまうんだ。
こうして・・
自然にわきあがる『恋する気持ち』を『無意識』のなかで『いけないこと・・』だと抑えこんでしまったり、『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『有利』になる条件を備えていなければ嫌われてしまうと思うようになったり、人の期待に応えなければ愛されないと思い込んでしまうと、人の『顔色』や『ふるまい』に『一喜一憂』しては、人の言動に『依存』するようになってしまうんだ。
すると・・
『自意識』が『過剰』になり、四六時中、人から見られているような気持ちになったり『異性』のことばかりを考えてしまったりして、目の前のことに集中しているつもりでも、その片隅では人の様子をうかがっているため・・
目の前のことに自分のたいせつな『気=エネルギー』を完全に注げなくなり『今、ここ!!』を生きられなくなってしまうんだ。
とはいえ・・
ぼくらは生涯、老若男女、独身既婚に関わらず、人に認められたい、ほめられたい、好かれたいという気持ちをもつのが自然なことであり・・
特に異性に、認められたり、ほめられたり、好かれたりすることに『快』の『感情』がわきあがるのは自然なことであり、それによって『生きる張り合い』や『潤い』がもたらされ、素敵な自分になろうとすることで人生は輝き続けることができるんだ。
それなのに・・
「もういい年なんだから」とか「結婚しているのに・・」と自分で自分を責めたり、人に批判されたりすると、自然にわきあがる『恋する気持ち』を抑えつけることに、たいせつな『気=エネルギー』をつかってしまい『今、ここ!!』を生きられなくなってしまうんだ。
自分と補完しあい『完全』になれる人に惹かれてしまうのは『生き物』の『生存』にとってたいせつな『本能』によるものであるのに・・
そこに「ダメ!!」とストップをかけ抑えようとすること自体、不自然であり、自然にわきあがるしたいことに「ダメ!!」と言われたら、ダメなことをしたくなるのが人の『性(さが)』であり、それも、強く「ダメ!!」と言われたら、その『反動』で、どうしてもしたくなってしまうのが人の『情(じょう)』でもあるんだ。
それでも『理性』の力でなんとか抑えようとして、自分の『恋する気持ち』を見て見ぬ『フリ』をしていると元気がなくなってきたり・・
『恋する気持ち』がわきあがっているその『はけ口』を『快感』や『快楽』を得られるもので紛らわせているうちに、そこに『依存』せずにはいられなくなり不健全なことにもなってしまうんだ。
それにもし・・
このまま自分の『性』を卑下し続けたり『罪悪感』を感じ続けてしまうと『生き物』の『本性』として備わっている『生存』と『子孫繁栄』をまっとうしようとする『性エネルギー』も否定することになり・・
生きていくために欠かすことができない『基本的欲求』である『食べる・寝る・排泄』することもままならなくなり、生きること自体、辛く厳しいものになってしまうんだ。
すると・・
いつでも気分がスッキリしなくなり『からだ』のどこかが痛かったり『情緒』が不安定になったりして、ものすごく『ストレス』を感じるようになってしまうんだ。
だから、むしろ・・
自分の『恋する気持ち』を正直に認めてあげることができると『自意識』が『過剰』になることも少なくなり・・
「自分は○○さんに好意がある」と自分の気持ちをちゃんとわかってあげて、好意を伝えることができる相手であれば『本心』を伝え、互いに好意をもつことができればハッピーになれるし・・
もし、好意を伝えることで互いの立場が難しくなる場合は「自分は○○さんに好意がある、でも、それ以上のことは望んでいない」という気持ちをしっかりもちながら、互いが『笑顔』を交わしあえるほどよい『距離』や『関係性』を保ち守るようにしていれば・・
「今日も楽しくやろう!!」と励ましあったり、微笑みあうことで、互いに元気をもらいあえる『関わり』がもてるようになるんだ。
それに、もし・・
相手に対して『嫉妬心』を感じてしまった場合でも「あ~嫉妬している・・」と自分で自分の気持ちをわかってあげて、上手に発散することができれば、それほど『イライラ』せずにいることができるようになれるんだ。
けれど・・
『嫉妬心』を感じている自分を許せないと責めてしまうと、苦しくなったり、もっと『イライラ』してしまうから、とにかくわきあがった『感情』は正直に感じてあげることで『ストレス』がたまらなくなるんだ。
だからどうぞ『恋する気持ち』や『嫉妬心』を感じてしまう自分を決して責めたりしないで、自分の『正直な気持ち』から目をそらさずにちゃんとわかってあげてほしいんだ。
『恋する気持ち』をもち続けられることは素敵なことであり、恋することで『パワー・チャージ』ができると、いつまでも『イキイキ』と若々しく元気でいられるように神様がしてくださっているんだから『恋する気持ち』を『生きるパワー』として上手に『コントロール』して活かすことができるといいよね。
けれど・・
『恋する気持ち』は、ここまでお話ししたとおり上手に『コントロール』できないこともたくさんあり・・
むしろ、不意打ちのように『恋』におちてしまうと『雷』に打たれたようになってしまい・・
- 恋は盲目
- 恋は人を惑わす
- 恋の魔力
- 恋の病など・・
といわれるように『こころ』ここにあらずの『上の空』になり『地』に足がつかなくなってしまったり、いつもの自分とは違う自分になってしまったり、正しい判断ができなくなってしまったり、相手の反応に『一喜一憂』しては、はしゃいだり、落ち込んだり、食欲がなくなったり、体調が悪くなったり、愚かなことでも平気でしてしまったりして・・
『恋』は『危うさ』もはらんでいるものでもあるんだ。
それで・・
『恋する気持ち』を素直に認めてしまったら『恋』に歯止めがきかず『ヘビ(快感・快楽の性エネルギー)』に惑わされ、よからぬ『道』に迷いこんでしまうのが『こわい!!』と感じてしまうこともあるんだ。
でも・・
こうなってしまうと自分が人に好意をもつことも、好意をもってくれる人と自然な愛を交わすことも「悪いことをしている・・」という『罪悪感』が『無意識』のなかで大きくなり、人とどう『関わり』どう『距離』をとったらいいのかわからなくなり、とても生きずらくなってしまうんだ。
なので・・
自分の『恋する気持ち』をちゃんと認め受けとめながらも、相手に嫌われることをおそれず、自分の『ありのままの姿』を相手に見せ『本心』で相手と関わりながら程よい『距離』を保つようにしていれば『安全』でいられるんだ。
とはいっても・・
好きな人に自分の『ありのままの姿』を見せ『本心』で関わることは、とんでもなく難しいことでもあるよね。
なぜなら、好きな人に嫌われてしまうことが、ものすごくこわいからなんだ。
それに・・
相手とほどよい『距離』を保つためには『性』におぼれない『強いこころ』と『賢さ』を身につけ、自分を見失わないようにする必要もあり・・
もし、これらのことを守る『自信』がないのであれば、どんなに恋しくおもっていたとしても、その相手と『距離』をとり、自分がする必要があることに『精魂』を傾けることで自分を守ることがたいせつになるんだ。
とはいっても、好きな人と離れることは身をひきさくほどの『辛さ』や『悲しみ』を乗り越える必要があり『苦しみ』を味わうことにもなるんだけどね・・。
なぜなら・・
『恋する人』は自分の『影』の姿でもあるから・・離れ難く感じるのは当然とも言えるんだ。
いずれにしても・・
『恋』は『真実の愛』にたどりつくためのたいせつな『学び』をあたえてくれる『課題』ともいえるものであり、この『課題』はいつかは『クリアー』にする必要があるものなんだ。
『恋』することで大好きになった人にわきあがる『情(じょう)』をとおして、ぼくらは『喜・怒・哀・楽』のほかにもさまざまな『感情』がわきあがり『恋』を『美』にするか『醜』にするかによって『魂』の成長が計られるともいえるんだ。
だから、もし・・
どうしても自分を『コンロール』することができず『こころのままに』恋に突っ走り、それが『過ち』になってしまったとしても・・
それもその人にとっては『愛』を学ぶために必要な『とおる道』だったといえて、これも神様の『命(めい)』にしたがっていることになるんだ。
こうして・・
この道をとおることで『甘さ』と『苦さ』をとことん味わいつくし、傷つき傷つけながらも多くの『学び』を得て『恋』を『愛』に昇華することができれば『魂』を大きく成長させることができるからなんだ。
なので・・
この『課題』から目をそらしたり、逃げたり、何かでごまかしたり、甘さをあたえてくれるものに『依存』したりせず、しっかり向き合って取り組んで欲しいとぼくはおもっているよ。
それにしても・・
『恋』には色んなかたちがあるよね。
『生存(子孫繁栄)』や『防衛』が有利になるような『からだ』や『あたま』が先行する『性欲』や『承認欲求』や『利害』や『保身』や『世間体』にからむ『恋』もあれば・・
『こころ』と『こころ』が触れあい、互いのことを『こころ』からたいせつにおもえる純粋な『恋』もある。
こんな純粋な『恋』であれば、あらゆる偏見に囚(とら)われることなく、大いに『恋』を楽しんでほしいとぼくは思っているよ。
なぜなら・・
純粋に人を『恋』することは、人を『愛』する最も尊く美しいものであり『命』をイキイキと輝かせ、最上の『よろこび』と『無条件・無償の愛』を教えてくれるものだからなんだ。
相手のことを『こころ』からたいせつにおもい、相手の『しあわせ』を切に願うことができるようになると『魂』は大きく成長することができるようになるからなんだ。
けれども・・
この『恋』によって、ほかの誰かを傷つけてしまうようなら、その『責任』をとる『覚悟』をもって『真摯(まじめでひたむきなこと)』にのぞむことが前提になるんだ。
『ネガティブ』な『色づけ』をする『メガネ』、『ポジティブ』な『色づけ』をする『メガネ』がどんなものであるかがわかったところで・・
さらに・・
自分のなかにあるものを『観察』するためのお話しをすることにするね。
ぼくらは、誰かを見た瞬間・・
- 「感じが良くて好き!!」と思い笑顔になる
- 「なんか嫌いイラッとする!!」と思い目がつりあがる
- 特になにも感じないでいられる
などの反応をするよね。
そして・・
次の瞬間から、その人に対する接し方に違いがでて・・
- なら、目が♡(ハート)になったり、フレンドリーになったり、ほっこりした気持ちになる
- なら、緊張したり、怒りがこみあげてきたり、よそよそしくなったり、避けたりする
- なら、平常心で普通でいられる
という感じだよね。
- は『ポジティブ』な『メガネ』をかけたことになり
- は『ネガティブ』な『メガネ』をかけたことになり
- は、特に『メガネ』をかけずにいられたことになり、自分とは特別な関わりを持たずにいられる状態とも言えるんだ。
こんなふうにさまざまな反応が起きてくるけど、その人のことをよく知るようになったら、最初に思った印象とは全く違う人だったということもよくある話だよね。
ぼくらは、勝手に『思い込んだり』『決めつけたり』『印象づけられた』ことによる『先入観』によって『メガネ』をかけ、そんな『メガネ』をとおして、人や物事を判断してしまうんだ。
先ほどの『枯れ木』を見ただけなのに『枯れ木』を『幽霊』と思い込んでしまったがために『怖~~い』という『感情』がわきあがり『ブルブル』して、心拍数や血圧が上がり『ドキドキ』することで『こころ』と『からだ』に悪い『影響』がおよぼされ・・
そればかりでなく、そこから逃げ出してしまうというおかしな『ふるまい(言動)』まで引き起こしてしまうように『誤った判断』をしてしまうと、しなくてもいい『心配』や『不安』や『不信』を抱き『的はずれ』な『ふるまい(言動)』をしては『生きずらさ』をかかえるようになってしまうということなんだ。
ほかにも・・
- どうでもいいような『ルール』や『こだわり』のために『気』をとめる必要がある肝心なことに『気』がまわらず『おかしなこと』や『トンチンカン』なことをしてしまい、どうしてもその『こだわり』から抜け出すことができなかったり
- いつもの『ルーティン』と違うことが起きると、なにか大変なことが起きる気がして、とっさの『変化』にうまく対応できず『パニック』みたいになるため『変化』を嫌う傾向にあったりするなど・・
まわりの人からは「どうしてそうなるの?」「なんか変だよ」「気にしすぎだよ~」「目を覚ませ!!」と説得されても、その人の『無意識』のなかで『描いている世界』では、そのことに真剣で、それが『リアル』であるため、その『囚(とら)われ』から抜け出すことができないんだ。
こうして・・
必死になっていたり、おびえていたり、悩んでいたり、苦しんでいたりすることで『生きずらさ』をかかえてしまっているんだ。
このように『過去』に受けた『こころの傷』による『トラウマ(PSTD)』によって、ある『もの』や『こと』に関わる認知に偏りや歪みや誤認が生じ、囚(とら)われてしまうと・・
『思考⇒あたま』や『感情⇒こころ』の『バランス』がくずれ『身体⇒からだ』や『行動=ふるまい』にも『影響』がおよび・・
『統合失調症』『強迫性障害』『パニック障害』『発達障害』『不安症』『双極性障害』『うつ』『情緒不安定』などのほかにも『精神』と『身体』と『行動』に不和や不調をきたす『症状』に悩み苦しみ『生きずらさ』をかかえてしまうのだと・・ぼく、サーアイアイは、感じているよ。
でも、もし・・
- なにかの『きっかけ』で『過去』から目が覚めたり
- 『認知行動療法』などで『幻覚』『妄想』の世界と『今、ここ』にいる自分とを切り離すことができたら・・
「あのときは、どうかしていた、おかしくなっていた」「自分が自分でないような感じだった」「なんか、魔がさしていたような感じだった」「やっと、霧が晴れた」「生きずらさからやっと解放された」と思うだろう。
普通の日常でも『高所恐怖症』や『閉所恐怖症』や『△△がどうしても苦手!!』など『無意識』のうちにかけている『メガネ』によって・・
今『現在』を生きながら『過去』の恐怖に囚われてしまっているんだ。
また・
『認知症』は、なんらかの原因で『脳』の機能に不具合が生じることで『時空』が崩壊し、今まで認知できなかった『影』(『内なる傷ついた子ども』)が『表』にでてきたことにより・・
- 幼い子どものようになってしまったり
- 動物的な本能の部分が『表』にでて抑えられなくなったり
- 今までずっと抑圧していた『怒り』や『悲しみ』が『表』にでてきたり
- 『過去』にかかえていた『おそれ』に関わることが『表』にでてきたり
- 懐かしい場所や物や出来事を恋しく思うようになったりして・・
『今』と『過去』が渾然一体となってしまうのだと、ぼくは感じているよ。
いずれにしても・・
ぼくらの『記憶』のなかに流れている『考えていること』や『信じていること』や『誓ったこと』などによる『思考』やその『思考』からわきあがる『感情』によってなされる『意識(思考・感情)』により、心身にさまざまな『影響』が及んでしまうのだと・・ぼく、サーアイアイは感じているよ。
つまり・・
『意識(思考・感情)』である『気』によるさまざまな『ストレス』が『ホルモン』や『自律神経』や『免疫』にさまざまな『影響』をおよぼすことで、まさに『病は気から』のとおり『病気』になってしまうのだと感じているよ。
こんなことから、ぼくらの『DNA』に刻まれていることを知ることで、かかりやすくなる『病気』がわかることもうなずけるよね。
ここに載せていることは、ぼく、サーアイアイが感じていることに基づいた『洞察』であり医学的な根拠があるものではありません。
では・・
どんな『メガネ』が、どんなふうに『影響』をおよぼしているか詳しくみていくことにしよう。
- 強く印象に残る『出来事』からの『イメージ』や『決めつけ』、大きな『ショック』からわきあがる『感情』によって『誤解・誤認』している『メガネ』
- ある時代のある社会における『ルール』や『教え』により「〇〇してはいけない」「〇〇は◇◇というものだ」「▽▽であらねばならない」と思い込まされ・信じ込まされたことによる『メガネ』
- 『過去』の『過ち』や『失敗』、または、身近な人の見たくない姿などから「□□にはなるまい」と誓いをたてたことによる『メガネ』
- 黒い服を着て怖い顔をしたAさんには近寄らないようにしていた⇒『過去』に似たような外観の人にものすごく怖いおもいをさせられたことがあったからだ⇒けれど、Aさんは好きな色が黒でちょっと目がつりあがっているというだけで、実はとても人情深いやさしい人だった
- Bくんというお金持ちの子どもに素朴な手作りのお菓子やオモチャをプレゼントしてもよろこぶはずないだろうと思い込んでいた⇒『過去』に自分がお金持ちだったころ、素朴な手作りのお菓子やオモチャをプレゼントされたとき「こんなのイヤだ!!」と言って、すこしもうれしくなかったことがあったからだ⇒でも、Bくんは、高価な市販品より不格好でも『こころ』がこもった手作りのものの方がうれしいと言っていた
- Cさんは、百合の花の匂いを感じただけで、いつもひどく悲しい気分になり体調まで悪くなることがあった⇒実は、遠い『過去世』で最愛の女性との悲しい別れ(死別)があった時、その女性のそばに百合の花が飾られていた。しかも、百合の花は彼女が一番好きな花であった⇒それで、百合の花の匂いを感じただけで、そのときの悲しい『映像』が『無意識』のなかで『再生(フラッシュバック・再現)』されてしまい、悲しくなってしまうことを『過去世療法』で知った。百合の花にこんな『ショック』な出来事がからんでいなければ『香りのよい花』としていい気分でいることもできたであろうに・・
など・・
『過去』に印象づけられたことにより『真実』とは違う『見方』や『とらえ方』をしてしまったり・・
2の『メガネ』の例として・・
など・・
『ルール』や『教え』により『無意識』のうちに『自然な姿』や『本性』を抑えこんだり禁止していたり・・
3の『メガネ』の例として・・
など・・
自分で誓いをたてたことにより、自分にも人にも厳しくなってしまったりして・・
いずれにしても ・・
誰もが多かれ少なかれ『無意識』のうちに、さまざまな『メガネ』をかけ『色づけ』し『真実』とは違う世界を描くことで・・
人や物事を嫌ったり避けたり、しなくてもいい『心配』や『不安』や『不信』や『恐怖(おそれ)』や『怒り』や『嫉妬』をいだいたり、自分自身にもあれこれ『ブレーキ』をかけ『本当の自分』でいることに『×(バツ)』をつけ、自分にも人にも厳しくなり、責めたり苦しめたり制限をかけたりしてしまうんだ。
そうして・・
自分の『本来の姿』の『本当の自分』のことすらわからなくなってしまっているんだ。
また・・
自分に危害をあたえくるわけでもないのに『自然な姿』のままでいる人に対して、勝手に『怒り』や『悲しみ』がこみあげてきたり『うらましく』感じたり『嫉妬』したりして、責めてしまうようになってしまい・・
それだけでなく、こんなふうになってしまう自分自身にも『腹が立ち』自分をもっと嫌いになってしまうことがあるんだ。
でも・・
こんな『メガネ』をはずすことができれば、あれこれ『思い悩む』ことも『ビクビク』することもなくなり、もっと自然に『楽に』『自由に』伸び伸びと生きることができるようになり、嫌いな人もずっと少なくなってくるんだ。
- ある『もの(物・人)』や『こと(場面・出来事・状況・環境・現象)』に出会ったとき『緊張』や『恐怖』や『不安』など『心身の乱れや痛み』『気分の落ち込みやひっかかり』があるとき
- 目の前の人や、テレビやラジオなどで見たり聞いたりしている人の『顔』や『態度』や『声』に『イラつき』や『嫌悪』や『怒り』や『敵対心』や『嫉妬心』や『不信感』を覚えるとき
- 特に『イヤなこと』や『不安』や『心配』があるわけでもないのに訳もわからず、『あたま』は『グルグル』、『こころ』は『モヤモヤ』『イライラ』『ムカムカ』『ムラムラ』して気分がすぐれず、『からだ』もどこかが痛かったり、コリがあったり、シビれがあるときなど・・
『観察』するときは、自分のことを『人ごと』のように観るといんだ。
なぜなら・・
人のことならよくわかったり、適切な『アドバイス』ができたりするのに、自分のこととなるとその『渦中』にいるため見えなくなってしまうから『客観的』に眺めるようにするといいんだ。
こうして・・
自分のなかにあるものを一歩ひいたところから、自分は何を考え何を感じているか『分析』していると、自分が『無意識』のうちにかけている『メガネ』のことがわかるようになり、自分のなかにあるものを『観察』することができるようになるんだ。
上記のように『平常・平静』でいられなくなったとき、どんなことが『思い浮かび』どんなことを『思い』『考え』『信じ』『感じ』、その結果、どんな『体調』になり、どんな『言動』をとってしまうのかを思いつくままにノートに書き出したり、人に話をきいてもらうと、自分のなかにあるものを『観察』できるようになるよ。
ノートに書き出すときのコツとしては、人に悩みを相談したり愚痴をきいてもらっているときと同じ気分になっていると、いつのまにか気持ちの整理ができたり、かかえている『問題点』もよくわかるようになるんだ。
つまり・・
自分が自分の『相談役』になって『対話』をノートに書き出せばいいんだ。
それに、ノートのなかなら安心して『本音』や『ドロドロ』したものまで正直に吐き出せてしまえるからスッキリできるよ。
こうすることで・・
自分が『無意識』のうちにどんな『メガネ』をかけ、その『メガネ』が自分にどんな影響をおよぼしているかがわかるようになるんだ。
『思い浮かぶこと』として・・
- ある人の顔
- ある人の言動
- 自分や自分のたいせつな人がひどい目にあわされた『過去』
- 自分がした失敗や避けることができなかった事故や過ちによる『過去』
- 事故や天災や戦争など、避けることができなかったひどい目にあった『過去』などが・・
思い浮かび(再生・フラッシュバック・再現され)・・
- 『被害者』になった自分が、怒ったり・憎んだり・恨んだり・悲しくなったり・寂しくなったり
- 『加害者』になった自分が『後悔』や『罪悪感』にさいなまれ、自分を責めたり・苦しめたり・痛めつけたりして・・
激しい『感情』がわきあがり、人や自分や出来事に対して、口にだすのもはばかれるような『汚い言葉』まで叫んでいたりするだろう。
でも・・
こんな『醜い姿』をした『影』の自分が『無意識』の『闇』のなかにはまぎれもなくいて・・
今までずっと抑えこんできた『醜い思考』が『あたま』のなかで『グルグル』していることや、ためこんできた『ドロドロ』した『感情』が『お腹の底』からわきでてあふれていることを・・
認め許し、思いきり泣いたり、わめいたり、怒鳴りちらしたりさせてあげて『スッキリ』できるまで、とことん吐き出させてあげることがたいせつになるんだ。
自分が自分の『お母さん』または『観音様』になって、忍耐強く『負の気』を吐き出させてあげていると『影』は自分のことをわかってくれようとしていることに安らぎ『泥』や『毒』を吐くごとに『重い気持ち』が軽くなっていくからなんだ。
こうして・・
自分の『本当の気持ち』や『感情』と向き合って『影』の自分がずっと抑えこみ苦しんできたことをわかってあげながら『醜い姿』をした『影』の自分を認めて、許し、抱きしめてあげていると『影』は癒され・・
『あたま』と『こころ』と『からだ』は軽くなって『自然治癒』の力も出てくるようになるんだ。
どんな『負の気』でも、わきあがってしまったものは『エネルギー』をもっていて、それを自分のなかに封じ込めしずめたようにみえたとしても、その『エネルギー』は決して消えることはなく、自分のなかにくすぶったままたまっていってしまうんだ。
そうして『行き場』をなくした『負の気』は『あたま』や『こころ』や『からだ』に『毒』をまきちらす『エネルギー』となって『痛み』や『破壊』のもとになってしまうから、この『チャンス』にどんどん外に吐き出させてあげよう。
そうしないと・・
くすぶっている『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』の『感情』は、外からやってくるさまざまな『刺激』に『過敏』に反応するようになり・・
- 訳もなく怒りっぽくなったり、悲しくなったり
- 小さな『不満』にも怒りや憎しみや恨みが爆発しやすくなったり
- 小さなことにも『苦悩』しやすくなったり『ビクビク』おびえるようになったり
- 人が発するニオイや音や姿や気配などが、異常に癪(かん)にさわったりして・・
ささいなことでも大きな『ストレス』に感じられ、病院で検査しても特に異常がないのに『あたま』や『からだ』や『こころ』の『不調』や『痛み』が続くようになってしまうんだ。
もしも・・
『負の気』を上手に吐き出すことができず『パンパン』にふくれあがり『爆発』してしまうと・・
衝動的に人に危害をあたえるようなことをしでかしたり、自分で自分をひどく傷つけたり、自分を亡きものにしようとしてしまうから、そうならないためにも『ドロドロ』したものは、人に迷惑がかからないようにとことん吐き出して・・
最終的には、人も自分もあらゆる出来事もゆるして『水に流す』ことができるようになると『魂』は浄められ癒やされるようになるんだ。
もし・・
『汚い言葉』や『ひどい言葉』を吐き出すなんて、そんな『醜い人』になりたくない。それに、それらの言葉が『言霊』になってしまったらこわいと感じるのであれば、安心してだいじょうぶだよ。
『ネガティブ』な『思考』や『ドロドロ』した『感情』を書き出したページは『ビリビリ』に細かくちぎって「自分のなかの『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』などの『汚れた想念』を洗い流してください。これでスッキリできたことに感謝いたします」と神様にお祈りしながら捨ててしまえばいいんだ。
そうすれば・・
吐き出した『汚い言葉』は天で『浄化』され、汚れたものや重たいものは洗い流され『過去』の『傷口』から『膿(うみ)』も出てきて『こころの傷』は癒されるようになるんだ。
それに・・
もともと『負の気』は、ぼくらの『精神』や『情緒』の『バランス』をとるために自然にわきあがるものであり、上手に外に吐き出して『スッキリ』した状態にしておくことができれば、ぼくらを『健全』にしてくれるものでもあるんだ。
それなのに・・
『負の気』をためこんだままにしておくと『臭いものに蓋をしている』状態になり、自分ではそんなつもりはなくても『無意識』に『表』で笑い『影』でひどいことをおもっている『腹黒い人』になってしまうんだ。
でも・・
普段から『いい子・いい人』であろうとして『本当の気持ち』をごまかして『ウソ』をつき続けているとその『ストレス』が『欲求不満』や『情緒不安定』につながり・・
- 『ネガティブ』な『思考』によって、理由もなく『モヤモヤ』『イライラ』『ドキドキ』することが続いたり
- 『ドロドロ』した『感情』のニオイがもれでて、イヤな『体臭』になったり
- 自分の『モヤモヤ』『イライラ』『ドキドキ』の波がまわりの人にも伝わり、知らぬ間にまわりの人を『不快』な気分にさせたりして・・
『あたま』や『こころ』や『からだ』の『不調』や『痛み』につながってしまうんだ。
このような『ストレス』がたまってしまうと、腸内は悪い細菌が増え、便秘になったり下痢になったりするほか『腸』とつながっている『脳』にも悪い影響がおよび『ネガティブ』な『思考』や『感情』からなかなか抜け出せなくなってしまうんだと、ぼくは感じているよ。
『腸』と『脳』のつながりについては『情動』をのぞいてみてね!!。
というわけで・・
『ネガティブ』なものは、以下のことを参考にしながらどんどん外に出してあげよう。
- 『毒だしノート』に悪口や鬱憤(うっぷん)や怒りや悲しみなど『モヤモヤ』『イライラ』『グルグル』するものを書きまくる
- 一人きりになれるところ(ふとんの中とか)で「わぁ~!!」って叫ぶ
- 枕やクッションにパンチして『怒り』をぶちまける
- シャドーボクシングやシャドーキックボクシングで、空殴りや空蹴りをして怒りを発散させる
- 掃除などで思いきり身体を動す
- 気がすむまで紙を破りちぎる
- 紙と色鉛筆を用意して気がすむまで塗りたくる
- 思いきり大きな声で歌を歌ったり、ダンスを踊ったりする(特に自分の『気持ち』に近い音楽だと効果抜群!!)
- 自分の『怒り』や『悲しみ』を表現しているような『映像(映画・ドラマ)』や『本』や『音楽』などで、怒ったり泣いたりしてスッキリする
- 自分の『闇』や『影』の姿を文章・アート・音楽などで表現して『昇華』させるなど・・
『感情』を発散させることを習慣にしていると『カタルシス(精神の浄化)』が上手になり『こころ』を安定させることができるようになるよ。
でも・・
わきあがった『ネガティブ』な『思考』や『感情』や『欲求』を『タバコ』でまぎらわせ『ストレス』を発散させようとすると『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』=『気』による『エネルギー』は人に伝わりやすいため、それが人の『情動』に触れてしまい・・
『タバコ』を吸っていないまわりの人たちにさまざまな病気にかかりやすくさせることになってしまうから、これを機に『タバコ』の代わりになる健康的な『ストレス発散方法』を見つけられるといいよね☆。
*このような『タバコ』と『情動』の関わりについては、ぼくが実感していることから『洞察』したことなんだ。
それに・・
『タバコ』は『ストレス』をなくすものではなく、一時しのぎにすぎないため、むしろ『ストレス』に弱い『からだ』と『こころ』にしてしまい『タバコ』に依存するようになってしまうから『百害あって一利なし』なんだ。
なので『ストレス』を感じたら『解消』するために・・
- 散歩やお茶を楽しんだり、和む音楽や映像に触れたり、香りで気分をほぐすなど、自分なりの『リラックス法』でこまめに『気分転換』したり
- 自然が豊かな静かなところで、自分と向き合い、自分の本当の気持ちに気づいたり、なだめたり、望みをかなえてあげるようにするなど・・
自分なりの『ストレス解消法』を用意しておくことができると『心身』を健全に保つことができるようになってくるよ。
ちなみに、ぼくの『ストレス解消法』は、自然に触れることなんだ。
というわけで・・
わきあがった本当の『気持ち』や『望み』を抑圧したり無視したりしないで、自分でちゃんと気づき、受けとめ、感じてあげながら・・
ある『もの(物・人)』や『こと(場面・出来事・状況・環境・現象)』について・・
『無意識』のうちに、どんなことを『思い浮かべ(連想)』⇒どんなことを『考え・信じ・誓い(思考)』⇒どんなことを『つぶやき(言葉)』⇒どんな『感情』がわきあがり⇒どんな『体調』になり⇒どんな『ふるまい(言動)』をとってしまのうかを『観察』していると、ある特定の『パターン』が見えてくるようになるよ。
「○○が正しい」「○○はいけない」「○○はこうあるべき」と『思い込んだり』『決めつけたり』『信じていたり』『誓っている』ことをもとに・・
「自分なら○○するのに・・」「自分なら○○は決してしない・・」など自分とは違う『考え方』や『感じ方』や『ふるまい』をする人を『無意識』のうちに責めて「そんなことは許さん」と批判していたり、怒っていたり、攻撃していることに気づくようになるよ。
つまり・・
自分と違う人のことを『あたま』のなかではひっきりなしに『排除』しようしているから『あたま』とつながっている『こころ』も『からだ』も不調をきたすようになってしまうんだ。
さらには・・
ある『もの(物・人)』や『こと(場面・出来事・状況・環境・現象)』が『きっかけ』となって『連想』された『こわいドラマ』から連想される『こわい未来』までも浮かんでしまい・・
何も起きてない『未来』に『不安』や『心配』や『不信』がわきあがり、怒ったり、おびえたり、悲しんだりすることで『あたま』も『こころ』も『からだ』も、さらに乱れてしまうことにも気づけるようになるはずだよ。
ここで、さらに深く自分のなかにあるものを『観察』していると・・
人に対して「そんなことは許さん」と批判したり、怒っていたり、攻撃しては『排除』しようとしているのは、実は『表』の自分が『影』の自分に向って『✖(ばつ)』をつけては『影』の自分を責めたり、苦しめたりしていることにも気づくようになり・・
自分が自分の『影』に『✖(ばつ)』をつけている姿を他のだれかに『鏡』のように映し出し、その人に『✖(ばつ)』をつけ、嫌ったり、許したくないと感じているんだ。
または、この逆に・・
人に「そんなことは許さん」と怒られたり、批判されたり、攻撃されたり、意地悪されては、人に傷つけられてしまうことがある場合は・・
『影』の自分が『表』の自分に向って『✖(ばつ)』をつけ「そんなことは許さん」と責めていることにも気づくようになるよ。
つまりは・・
自分のなかで『無意識』のうちに繰りひろげている『表』の自分と『影』の自分との『いがみあい(バトル)』を外の世界に『映し出し(投影)』ているということなんだ。
こんな『表』と『影』の『バトル』は『反転』することもよくあり・・
- いじめられていた子が、いじめる側になることもよくある話だし
- 自分より弱い人には強そうな態度をとるのに、自分より強い人にはペコペコしてゴマをすったりする・・
また・・
- 真逆な考え方をしていがみあっている人同士を端からみると、案外、似たもの同士に見えたり
- 『目の敵(かたき)』のようにしてだれかの『悪口』を言っている人を『客観的』によく観ていると、その『言葉』そのままあなた自身のなかにもあるものではないですか?・・と、言いたくなることもあり・・
実は『表』と『影』はひと続きにつながっていて隣合わせにあるものであり・・
自分のなかには『被害者』も『加害者』も存在していて、どちらも外の世界に『映し出し(投影)』てしまうということなんだ。
なので・・
今まで「○○が正しい」「○○はいけない」「○○はこうあるべき」「○○ってことは、きっと◇◇になってしまう・◇◇になったらどうしよう・・」という自分のこり固まった『思い込み』や『決めつけ』や『信じてきたこと』を1回、ひっくり返して・・
これは・・
- 本当に正しいことなのか?
- 「○○はいけない」「○○はこうあるべき」ということは、自分や人を縛りつけたり、無理させたり、責めたり、苦しめたりする不自然なことではないのか?
- 「○○ってことは、きっと◇◇になってしまう・◇◇になったらどうしよう・・」というのは、ただ単に『思い込んだり』『決めつけたり』『信じきっている』だけなのではないか?
このように、一度、疑って考えなおしてみよう。
もし・・
- 正しいこととは、言い切れないかもしれないと感じるのであれば
- 今まで普通にしてきた『抑圧』や『禁止』や『強要』が、自分や人を縛りつけたり、無理させたり、責めたり、苦しめたりする不自然なものであると感じるのであれば
- 悪い予想や予測のとおりになるとは限らないではないかと感じるのであれば・・
こうして・・
今まで『無意識』に繰り返してきた『パターン』から抜け出すために・・
- 自分は、何を思い?
- 何を感じている?
- 自分は、どうありたい?どうしたい?・・
かを、思いつくままにノートにつづったり、人とお話しながら・・
- わたしは、○○なことを思っている
- わたしは、○○な気持ちになっている
- わたしは、○○でありたい、○○したい・・
今までの自分がどうであれ・・それを一旦、わきに置いて、さらに、これが正しいとか間違っているとか、社会の『常識』とか『ルール』とかもわきに置いて・・
まずは、自分の本当の『気持ち』や『望み』に『向き合う』ことがたいせつになるんだ。
そしたら・・
自分が望む『本当の自分』であるために、自分はどういう『意識(思考・感情)』になって、どう『ふるまう(行動する)』ようにすればいいかを考えてみればいいんだ。
例えば・・
育児時短勤務で早く帰宅したいと言ったら、みんなに変な顔をされてしまった⇒「子育てにやさしくない会社だ」と思っている。
このことを自分は『どう考えていて、どう感じているか』そのうえで、自分は『どうありたくて、どうしたいか』をノートに書き出してみると・・
育児時短勤務で早く帰宅することに『後ろめたさ』があり、みんなに『申し訳ない』と感じている、けれど、こどもとゆったり関わり楽しく子育てしたい⇒だから、この気持ちをわかってくれる会社だとありがたいとおもう。
それに、自分が育児時短勤務をとりやすくなれば、後に続く人たちも育休や育児時短勤務をとりやすくなり『ゆとり』をもって子育てを楽しめるいい循環が生まれ、いいことづくめになると考えている。
それと・・
『後ろめたさ』や『申し訳なさ』を感じていると、その『罪悪感』が自分を自分で責め辛く苦しくなってしまうから、そんな『感じ方』は手放して・・
それより・・
会社の規則では、育児時短勤務にしていいことになっているのだから「子育てに協力していただけることに感謝しています」という『感じ方』に変えて、職場の人たちに「ありがとうございます」という『感謝』の気持ちをもって、育児時短勤務を気持ちよくとりたい。
自分の『考えていること(思考)』と『感じていること(感情)』を書き出し、見えるようにしたことで自分がどんな『意識(思考・感情)』に囚われ、それがどれほど自分を責め苦しめているかがよくわかるようになったよね。
こうして・・
自分のなかにあるものを『観察』できると『本当の自分』がどうありたいかに気づけるようになるんだ。
そうして・・
自分も人も『楽に』楽しく仕事ができるようにするために『勇気』をだして、ちょっとだけ『図太い神経』になりながら「きっと、だいじょうぶ、すべてうまくいく!!」と念じながら「ありがとうございます、お先に失礼します」と『感謝』の言葉をそえて、明るく『笑顔』で退社してみることにした。
すると・・
思ったよりずっと普通に「だいじょうぶよ・・お互いさまだよ」という『雰囲気』になり、前より気持ちよく退社できるようになった・・という例があるよ。
今まで『無意識』に「どうせ、子育てにやさしくない会社なんだ・・」とか「まだまだ子育てにやさしい社会になっていない・・」という自分の『思考』に気づき、会社やまわりの人や社会を責めてばかりいた『パターン』から抜け出すために・・
子育てに協力してもらい、子育てをゆったり楽しむのは誰にとっても当然の『権利』なんだという『考え方(思考)』にキッパリ切り替え、そうしていただける会社や社会に『感謝』していますという『感じ方(感情)』になることで気持ちがずっと楽になり『新しい意識(思考・感情)』に変容できるようになったんだ。
それで・・
『勇気』をだして、今までとはまるで違う『ふるまい(行動)』に変えたことで、自分の本当の『気持ち』や『望み』をかなえることができ『本当の自分』を生きられるようになったんだ。
ここでたいせつなことは、自分がしたいことに対する『後ろめたさ』や『申し訳なさ』のような『罪悪感』をいかに手放すかにあるんだ。
もし『罪悪感』を手放せずにいると、急な仕事がはいってきたり、他のだれかが不在になり、結局、時短勤務ができないような事態に見舞われたり・・
仮に早く自宅に帰れたとしても、なんとなく仕事のことが『心配』になったり、ほかの人にどんなふうに思われているかが『気がかり』になり、時短勤務したことで自分の立場が不利になりはしないかと『不安』におちいり・・
『モヤモヤ』したまま『いい気分』で子育てを楽しむことができなくなってしまうんだ。
それに・・
この『罪悪感』は、自分だけを責めているように感じるかもしれないけれど、実は、同じようなことをする人のことも責めてしまい・・
誰かが育児時短勤務で早く帰宅しようとしたとき「お互いさまだよ、子育てをゆったり楽しんでね」と気持ちよく送りだしたいのに、なんとなく『モヤモヤ』した気分になってしまうものなんだ。
あのね・・
『罪悪感』は『しようとしていること』や『していること』に『罪』や『悪』を感じてしまうものではあるけれど『罪悪感』を持ち続けていると『罪』や『悪』を感じてしまうような出来事を引き寄せやすくしてしまい・・
『負の連鎖』から抜け出せない『現実』ばかりをみるようになってしまうことに気づいてほしいんだ。
まじめな人やまわりの人に迷惑をかけたくないと思っている人や責任感が強い人だと『罪悪感』を手放すのはとても難しいことかもしれないけれど・・
『思うようにいかないこと』から抜け出すためには『罪悪感』を手放すことがとてもたいせつになり、これができるようになると、うまくまわりだすようになるんだ。
つまり・・
小さなこどものように『しようとしていること』や『していること』をいちいち『あたま』で判断することなく『無邪気』に素直な『こころのままに』ふるまうことができるようになればいいということなんだ。
けれど・・
すぐにこんなふうになれなくても、自分が『しようとしていること』や『していること』をすこしづつでいいから「これでいい☆これでいい☆」と自分に言い聞かせ『意識』を変えていくようにしていれば、そのうち『罪悪感』を手放すことができるようになってくるよ。
『罪悪感』を手放している人の例として・・
気ままに楽しそうに仕事をしているK子さんは、その姿が自然でなんの『邪気』もないために、まわりの人たちからは「K子さんて、自由にしてるけど、なんか憎めないよな」とか「あんなふうになりたいなぁ~」と『自然な姿』を受けいれてもらえたりするんだ。
なので・・
『勇気』を出して『能天気のあっけらかん』になって「すみません↓」という『罪悪感』ではなく「ありがとうございます↑」という『感謝』の気持ちを素直にもつようにしていると・・
自分も人も『楽に』できる『考え方』や『感じ方』に変え『新しい意識(思考・感情)』に『変容』できると、みんなが気持ちよく育休や育児時短勤務をとりやすくなっていくんだ。
不自然なのに当たり前になってしまっている『古い体制の空気』から、当然のいい感じの『新しい体制の空気』に変えていくのはとても『勇気』がいることであり、最初のうちはまわりの人の目が気になり『ドキドキ』が止まらず、嫌われてしまうことを『覚悟』しなければならないけれど・・
「あんなふうになりたい・・」と思っている人もたくさんいるはずなんだから『勇気』をだして一歩、踏みだし『子育てにやさしい社会』に変えていこう!!。
ひとりでも『意識(思考・感情)』を変え『古いパターン』を変えていくことができると、まわりにいる人たちもすこしづつではあっても『意識』が変わっていくものなんだ。
だから・・
それができる人は、もう、その『勇気』ある姿を見せているだけで、この世に『大きな奉仕』をしていることになるよ。
- どうせ、自分なんか
- どうせ、わかってもらえない
- 自分がしたいことをして生きるなんて許されるはずがない
- 自分がしあわせになる価値なんてない
- 現状は本望ではないけど、安定を手放すのがこわい
- まわりから反感を受けるぐらいなら、我慢してこのままでいい
などの『つぶやき』が『自分らしく』生きることへの『障害』や『十字架』になってしまい・・
自分の『可能性』を狭めるような『理由』や『言い訳』をつけては自分で自分を『制限』してしまうんだ。
もし・・
こんな『ネガティブ』な『つぶやき』に気づいたら、これらを手放し『自分らしく』生きていくために、上記でもあげたように・・
まず・・
- 「本当は○○したい」
- 「本当は○○でありたい」
と思っていることはどんなこと?と尋ねてみよう。
そしたら、そうなれないのはなぜ?
- △△が『不安』『心配』で『苦悩』している⇒「なぜ」だと思う?
- □□を信頼できない⇒「なぜ」だと思う?
と、さらに掘り下げていき『本当の自分』になろうとすることに『制限』をかけている『意識(思考・感情)』がどんなものであるかをノートに書き出すようにしてみよう。
こうして・・
自分のなかにあるものを『観察』し『表』にだしているとだんだん『混乱』していた『モヤモヤ』が『整理』ができるようになり・・
自分を苦しめている『意識(思考・感情)』をほどくために、どんな『意識(思考・感情)』に変えて、どんな『行動』に変えていったらいいかを考えられるようになるんだ。
ただ、このような自分との『対話』による『観察』も1回ぐらいでは自分の気持ちを『整理』できるところまでいかないから、何度も何度もトライしていると、すこしづつ自分のことがひもとかれてくるようになるよ。
もし・・
ノートにうまく書き出せない場合や苦しい気持ちやこわい気持ちがわきあがってくるようなら、信頼できる人や相談できる人や公共施設の相談窓口などで、話しを聞いてもらうといいよ。
人に話しを聞いてもらえるだけで、気持ちが楽になったり、軽くなったり、気持ちの『整理』がついたりして、自分が何に困っていて、本当はどうしたいのかがすこしづつわかるようになるからだよ。
こうして・・
自分のなかにあるものを『表』にだしてあげて『観察』することで『本当の自分』に気づくことができたら・・
『本当の自分』を生きるために、今までとは違う『意識(思考・感情)』になって『勇気』をだして『行動』を変えていくようにすればいいんだ。
先ほどあげた育児時短勤務をみてみると・・
- どうせ、自分の気持ちなんてわかってもらえるはずがないという『自己卑下』
- 早く帰宅することに感じる『罪悪感』
- 規則にあるからといって、そのまま行動にうつしたら、まわりの人からイヤな顔をされてしまうかもしれないし、立場が悪くなってしまうかもしれないという『おそれ』
に気づけたら、それらを自分で手放すために、自分にも人にも『やさしく』なって・・
『ポジティブ』な『考え方=思考』や『感じ方=感情』や『ありよう=姿』や『ふるまい=言動』を積み重ねていくようにしていると『新しいパターン』が身につくようになってくるよ。
さらに・・
この『新しいパターン』を身につけるうえでたいせつになるのは、自分のなかにある『男性性』と『女性性』のバランスをとることが実はたいせつになるんだ。
『無意識』のうちに『男性性』が強くなり過ぎている場合『女性性』に『✖(バツ)』がつけられ、自分にやさしく甘くあろうとすることに『ブレーキ』がかかってしまうんだ。
責任感が強くてまじめで、まわりの人には気づかいできる『やさしい人』なのに、自分には厳しくなってしまい、なんでもひとりでかかえこんでしまい、しまいには、身動きがとれなくなり、自分や人を責めたり苦しめたりするようになってしまっているんだ。
こんな自分に気づいたら『女性性』に『○(まる)』をつけ、もっと自分に『やさしく』なって、人に相談したり、人に助けを求めたり、人を頼ることや甘えることができる自分になろう!!。
どんなに『できる人』であっても『ひとり』でできることには『限界』があり、それを超えてしまうと『ヒートアップ』して精も根も尽き、体力も気力もなくなってしまうか、自分を休めてあげられる『居場所』のなさに悩み、生きることをあきらめてしまいそうになることもあるから・・
本当は弱い部分もある自分を認め許し『強そう』にふるまっていることをやめられるようになると、自分のなかにある『女性性』に『○(まる)』がつけられ・・
素直に人に相談したり、助けてもらったり、頼ったり、甘えたりできるようになり『みんなお互いさまのありがとうのつながりのなかで生かされている』ことがわかるようになると『ひとり』で頑張らなくてはならないことなどないことに気づけるようになれるよ。
また・・
『女性性』が強くなり過ぎている場合『男性性』に『✖(バツ)』がつけられ、自分が本当にいいたいことやしたいことを伝えることをためらったり、遠慮したり、うまく伝えることができなくなってしまうんだ。
このまま自分の本当の気持ちを伝えられずにいると心身の『不調』が続くようになり、自分では甘えたりズルする気はまったくなくても『無意識』のうちに『とんでもなく弱い自分』になってしまい、人に頼らざるを得なくなってしまったり、自分を責めたり人のせいにしたりするようになってしまうから・・
こんな自分に気づいたら、自分にも『強さ』はあることを認め『男性性』に『○(まる)』をつけ「自分がいいたいことやしたいことをスッキリ・キッパリ伝えてもだいじょうぶ!!」と言い聞かせ『勇気』をもって、すこしづつ自分の気持ちを伝えることを修練していると・・
イヤなことはイヤと伝えられたり、助けがほしいときは『甘え』からではなく『必要な助け』を求められるようになってきて『弱者』のままでいることから自分を解放できるようになると『弱い人』の気持ちにも寄り添える真に『やさしい人』にもなれるんだ。
こうして・・
『男性性』と『女性性』の『バランス』をとり、人に助けを求めたり言いたいことを伝えるために『こころ』をひらくことができるようになると『本来の姿』の『本当の自分』を生きられるようになるんだ。
この『課題』をクリアーにするためには・・
ものすごく『勇気』がいることかもしれないけれど、小さなことから人に話しをきいてもらうようにしたり、相談したり、助けてもらうようにすることで最初の一歩を踏み出すようにしてほしいんだ。
すると・・
- 気持ちが『楽に』なって『元気』がわきでてきたり
- ほんのすこし手助けしてもらうだけでこんなに『楽に』なれるものなのかと気づけたり
- 相談したり手助けしてもらうことで自分とは違う『やり方』があることに気づけたり
- 人が話してくれた何気ない『ひとこと』によって、自分ひとりではわからなかったことに気づけたり
- ピンチをチャンスに変える『ヒント』をもらえたりして・・
これらのことに『感謝』しながら、人を『信頼』する『経験』を積み重ねていくと・・
今までこり固まった考えから自分をほどくことができ『男性性』と『女性性』の『バランス』はどんどんよくなり、もっと『楽に』生きられるようになるんだ。
つまり・・
『自縄自縛(じじょうじばく・自分の考え方やふるまいで、自分を縛り苦しめること)』から自分を解放してあげられるようになると・・
案外、自分のまわりには自分のことをわかってくれようとしている人や話しを聴いてくれようとしている人や助けてくれようとしている人がいることに気づけるようになるはずだよ。
なので・・
まずは、雑談から気軽に自分の言いたいことを伝えたり、相談したり、「ちょっとだけ手伝ってもらってもいいですか・・」と気軽にお願いすることや人の『意見』や『アドバイス』にも耳を傾けることから始めて『こころ』をすこしづつひらき、人を『信頼』することに慣れるようにしていこう!!。
最初のうちは、すぐには『こころ』をひらけず『本当の自分』を生きることをあきらめてしまいそうになるかもしれないけれど・・
『こころ』をひらける自分になりたい・なれる・・と自分に言い聞かせて、すこしづつ自分の『意識(思考・感情)』を変えていくようにしよう!!。
そうすれば・・
互いに『本心』を語り合い、助け合える人と出会えるようなっていけるよ。
『本当の自分』を生きることは、自分を自分で『しあわせ』にすることであり、その責任を果たすことは、誰にでも平等に神様があたえてくれているものなんだ。
だから・・
『本当の自分』を生きて自分を自分で『しあわせ』にすることを自分に許して『しあわせ』になっていこう!!。
あとは、そうなることを信じていれば、だいじょうぶ、すべてうまくいくよ☆。
さらに・・
自分のことを深く探るために・・- ○○な自分は好き
- ○○な自分は嫌い
- ○○なのが『本来の姿』の『本当の自分』だけど、それを正直に『表』にだすことができない、こわい・・
という感じでノートに書き出してみると・・
もっと自分のことをほめてあげてもいいのにそのことに気づけずにいたり『本来の姿』の『本当の自分』を認めたくない自分がいたり『本当の自分』になることをこわがってる自分がいることに気づくようになるよ。
そうしたら・・
好きなところも嫌いなところも含めた自分が『本来の姿』の自分であり「どれもこれもぼくなんだから、これでいい!!」と自分に大きな『○(まる)』をつけてあげて・・
自分の好きなところは行き過ることがないように伸ばしていけばよく、嫌いなところは上手に磨けば『強み』や『才能』にすることができるようになり『本来の姿』が輝くようになるんだ。
地球は『周波数』が高くなり『不自然なこと』や『本来の姿』ではないことに『違和感』や『居心地』の悪さを前よりもずっと強く感じるようになってきて『自然に還る』ようになってきているよ。
それで・・
- 会ったばかりなのに、なぜか『親しみ』や『懐かしさ』を感じる人
- それとは逆に『怒り』や『恐怖』や『緊張』や『敵対心』や『不信感』や『嫉妬心』を感じてしまう人
とは『過去世』でご縁があった人たちであり『過去世』で果たせなかった『恩返し』や『課題』をクリアーにするために、再び出会っているといえるんだ。
もし・・
『気になる人』や『ひっかかりのある人』がいた場合、いつもの自分と違う自分になってしまったり・・
その人のことが『あたま』から離れなくなり自分の『意識(思考・感情)』を支配され、目の前のことに集中できなくなっているのであれば、その人は自分の『影』の姿を見せてくれているのであり・・
その姿は『DNA』のなかに刻まれている『ご先祖さま』の姿であったり『過去』の自分の姿であったりするよ。
さらに・・
『体調』や『精神』の乱れを感じている場合は『過去』の傷がぶり返し『魂』の『浄化』も始まってきているんだ。
- その人の姿をとおして、自分では気づくことができない『影』の自分の姿に気づいたり
- その人が『自分らしく』あろうとすることに『ブレーキ』をかけてくるのであれば『影』の自分が『本当の自分』になることに『おそれ』を抱いていることに気づいたり
- その人が伝えてくれる言葉が、時には苦い(にがい)言葉であったとしても『良薬、口に苦し!!』のことわざのとおり、その言葉によって『本来の姿』の『本当の自分』に気づくことができたり・・
自分が好きな色で自分が『ありたい世界』を描いていけばいいんだ。
- 愛あふれる『バラ色の人生』にすることだって
- ワクワクがあふれた陽気で楽しい『オレンジ色の人生』にすることだって
- 自分が表現するもので、多くの人を楽しませたり感動させたり平和な気持ちにさせる『青色の人生』にすることだって
- 色んな色が混ざった『レインボーカラー』の『彩り豊かな人生』にすることだってできるよ。
描くのは、タダだし、自由・・
- 自然体で『本当の自分』でいれば『自分らしく』イキイキと生きられ『気』があう人たちと『笑顔』で『しあわせ』に生きられると描いている人は、そのとおりの『現実』を見ることになり
- 生きることは、こころ豊かに美や愛をゆったり味わうものであると描いている人は、そのとおりの『現実』を見ることになるよ
けれど・・
- 「生きることは、苦難の連続だ!!」と『灰色の人生』を描いている人は、そのとおりの『現実』を見ることになり
- 『ありのまま』『こころのまま』でいたら愛されず嫌われてしまうという『暗い緑色の人生』を描いている人は、そのとおりの『本当の自分』を殺して生きる『現実』を見ることになってしまうから・・
もし・・
『ネガティブ』な色しか描けないようになっているのなら『腹式呼吸』をゆっくり繰り返し、すこしづつ気分を『楽に』してから、自分なりの『いい気分』になれることをして『周波数』を高く保てるようにしよう。
そうして・・
きみが『ありたい世界』を描いていこう!!。
『人生を描く』のは、いつからでもできるし・・遅すぎることなんてないんだから。
でも・・
自分では一生懸命『ありたい世界』を描いているのにもかかわらず『苦難』や『困難』ばかりを『経験』していたとしたら・・
それは、自分が描いている世界よりも神様がきみにあたえようとしている世界の方が、もっと『本来の姿』で輝けるということかもしれないし・・
きみが『ありたい世界』で生きていくためにはまだ『過去』からもちこした『課題』が残っているということであり、この『課題』を『クリアー』する『試練』をなんとか乗り越えることで『夢』や『希望』がかなえられるようになるんだ。
この『試練』は乗り越えられるきみだからこそあたえられたものであり、乗り越える『過程』において普通の人には『経験』できないようなことを経験するなかで多くの『気づき』や『学び』が得られ、心身共に強くなり『魂』は磨かれ『本来の姿』にもどっていけるようになるんだ。
また・・
この『試練』を乗り越えることで、まわりの人たちも『本当の自分』になるための『気づき』や『学び』が得られ、きみはいながらにしてこの世に大きな『奉仕』をしていることにもなるんだ。
こうして・・
すべてがうまくまわるように神様がしてくださることを信じて、まずは『今を生きる』ために『今にOK!!』をだし受けいれてしまおう!!。
そうしいないと「こんな自分でいるのは、もうイヤだ!!」と、自分で自分を責めたり苦しめることから抜け出せなくなったり「苦しくて耐えられない!!」「キツ~~い」と自暴自棄になってしまうこともあるから・・
とにかく『腹をくくり』今、する必要があること、今、したいこと、今、自分にできることに『こころ』をこめて最善を尽くし『今を生きる』ようにしよう!!。
そうすれば、あとは神様がなんとかしてくださるよ☆。