ぼく、サーアイアイが考える『情動』とは・・
外からやってくるさまざまな『刺激』が『きっかけ』となり思い浮かんだ『過去』の『ドラマ』に『意識(思考・感情)』がとんでいってしまい『感情』がゆさぶられることをいい・・
これにより『気分』や『体調』が悪くなり『平常・平静』を失い『今、ここ!!』を生きられなくなることを『情動』が引き起こされた状態にある・・と考えていて・・
ぼくらは、ただ普通に生活しているだけでも『無意識』のなかでひっきりなしに『情動』が引き起こされ『ストレス』を感じ、心身にさまざまな影響がおよぼされているんだ。
ここでつかわれている『過去』は『過去世』も含む『過去』であり・・
『今、ここ!!』とは『今にOK!!』をだし『過去』も『未来』もない今、この『場所(空間)』のこの『瞬間(時間)』に完全に集中していることをいうよ。
そして・・
『今を生きる』とは・・
- 今、する必要があること
- 今、したいこと
- 今、自分にできることを・・
『今、ここ!!』を生きながら、することをいうよ。
〇ここに載せているすべての内容は、ぼく、サーアイアイが、自分のなかに深く入って、自分の中にある『影』を観察したことによる『体験』と『洞察』に基づいているものであり、医学的根拠があるものではありません。
ぼくらのなかには『宇宙』の起源から今にいたるまでのさまざまな『命』の『記憶』が、気づくこともできない『無意識』のなかでずっ~と息づいていて・・
今までに『経験』したさまざまな『ドラマ』が、ぼくらのなかに流れているんだ。
そうして・・
外からやってくるさまざまな『刺激』を・・
- 『ニオイ』『味』『視覚』『触覚』『音』などの『五感』
- 『気配』『気』などの『第六感』
をとおしてキャッチし、その『刺激』が『きっかけ』となって『過去』のある『ドラマ』が思い浮かんでしまうと・・
『無意識』のうちに『自動的』に映し出された『映像(描いている世界)』のなかで『考えていたこと(思考)』や『信じていたこと・思いこまされていたこと(信念)』や『誓ったこと(決意)』や『感じていたこと(感情)』がよみがえり・・
『あたま』はグルグル『こころ』はモヤモヤ『からだ』はあちこち痛くなったりずっしり重くなってしまうんだ。
上記の絵は、ある『刺激』が『きっかけ(引き金・トリガー)』になって『B』という『こわいドラマ』が『連想(思い浮かぶ・フラッシュバック)』された瞬間『映像(描いている世界)』が映し出され・・
『意識(思考・感情)』はその『B』という『こわいドラマ』の『チャンネル』に飛んでいってしまい・・
そこで考えていたことや感じていたことがあたかも『現実』であるかのように感じられ、その『ドラマ』に囚われてしまうんだ。
このようにして、ある『刺激』が『きっかけ』となって『過去』がよみがえり『感情』がゆさぶられてしまうことを『情動』といい・・
これによって『気分』や『体調』が悪くなり『心身』や『言動』に影響がおよび『平常・平静』でいられなくなり『今、ここ!!』を生きられなくなってしまうんだ。
『きっかけ』となる『刺激』としては『過去』の『ドラマ』のなかで・・
- 目についたもの(視覚)
- 漂っていたニオイ(臭覚)
- 流れていた音(聴覚)
- 食べた物の味や単に口のなかで感じた味(味覚)
- 肌に感じる感触(触覚)
などの『五感』に関わるものであったり・・
なんとなく感じる気配や『気(エネルギー)』など感覚的に『第六感』で感じるものがあり・・
『過去』の『ドラマ』のなかで印象に残っていたことを感じた瞬間に『今、ここ!!』にある『意識(思考・感情)』は『過去』の『ドラマ』のチャンネルに飛んでいってしまい、目の前にある『現実』に『めがね(色づけ・フィルター)』がかかり『情動』が引き起こされてしまうんだ。
例えばこんなことがあるよ。
1週間前にこころない言葉を言われ『こころ』が傷つき、そのときの『イヤな気分』が未だに残っている場合・・
こころない言葉を言った人が来ていたブルーのTシャツと同じようなTシャツを見ただけで、またそのTシャツから漂っていた強めの『柔軟剤』のニオイと同じようなニオイがしただけで・・
ブルーのTシャツも柔軟剤のニオイもただ目にしたり香りがしただけなのに、そこに『過去』の『メガネ』がかかってしまうと、1週間前の『イヤな気分』が蒸し返され『イライラ』したり『ムカムカ』したり『ドキドキ』したりして『感情』が波立ってしまうことがあるよ。
ほかにも、小学校の頃、跳び箱に失敗して『痛いおもい』や『恥ずかしいおもい』や『くやしい気持ち』になった『過去』があった場合、跳び箱を見ただけで、その時の『辛い気分』がよみがえり、気持ちが沈んで元気がなくなってしまうこともあるんだ。
このふたつの例は『過去』に受けた『こころの傷』がどんなものであったのかを覚えているため『ネガティブ』な『感情』がどこからやってきているのかを『自覚』できるんだけれど・・
なぜだか『イライラ』したり『ムカムカ』したり『ドキドキ』する、または、なぜだか気分が沈んで元気がない、またはどこかが痛くなったり、不調になる場合は『過去』に受けた『こころの傷』がどんなものであったのかをスッカリ忘れている状態で『情動』が引き起こされていることもあるんだ。
どちらにしても『過去』に起こったことに対して『理解』や『納得』ができなかったり『こころの傷』が癒されないままになっていると・・
なにかが『きっかけ』になって『過去』の『ドラマ』がよみがえってしまうと『情動』が引き起こされてしまうんだ。
実は、このようなことが『細胞レベル』でもなされているらしくて・・
ひとつひとつの『細胞』が、さまざまな『刺激』により、独自にさまざまなことを『考え』『感じ』それにより『気分』や『体調』が変化し『心身』や『言動』にさまざまな影響がおよんでしまうらしいんだ。
心臓移植した人などは、移植してくれた人と同じような『嗜好』になったり『性格』も変わったりすることがあるらしいよ。
『ミクロとマクロはフラクタル☆』だから、ぼくらの『からだ』のあちこちに『過去』の『記憶』が宿っているということなのかもしれないね。
いずれにしても『情動』には・・
- それぞれの個人によってさまざまな反応になるものもあれば
- 『生き物』として似たような反応になるものもあり
それぞれ個人によって違うものとしては・・
- 『バラの花の香り』をかいだとき、たいての人は『いい気分』になれるけれど、人によっては『過去』の『悲しいドラマ』のなかでバラが印象に残っていると『悲しい気分』になって『体調』が悪くなってしまうこともある
- 高いところに行くと『ワクワク』する人もいれば、足が『ガタガタ』するほど『怖い気分』に襲われてしまう人もいるのは『過去』における高いところでの体験が楽しいものであったか、恐怖を感じるものであったかによる
一方・・
『生き物』として共通にもっているものとしては・・
『植物』であれ『動物』であれ、きっと小さな『菌類』であれ『生存』と『子孫繁栄』における『食』や『性』において『危機的』なことに関しては『ネガティブ』な『感情』がわきあがり『愛』あることに関しては『ポジティブ』な『感情』がわきあがるようになっていて・・
これらの『感情』は『生き物』が生まれながらにもっている『本能』により引き起こされる『情動』であるため似たような反応になる
と、ぼく、サーアイアイは考えているんだ。
地球は『周波数』が高くなり『無意識』のなかにある自分の『影』の姿が『表』に出てくるようになってきていて『影』の姿である『内なる傷ついた子ども』のことをわかってあげて、望みをかなえてあげるようにしないと『自意識』が過剰になってもれ出し『モンスター』になりやすくなってきているんだ。(詳しくは後ほどわかるようになるよ)
それで・・
- 人に『見られている』
- 人のことが『気』になってしまう・・
という『現象』が起き、人の『視線』や『ふるまい』がとても気になるようになり、異性や『男性性』と『女性性』が補完的になれる同性に関しては、なぜか視線に入ってきてしまう、または気になる存在として『あたま』のなかでチラつき『いい意味』でも『悪い意味』でも自分とつなげては・・
ただ見ただけなのに・・
- Aのような『男性性』が強めの人だと、好かれていると思い込み『好意的』に受けとめ
- Bのような『女性性』が強めの人だと、好かれていると思い込み勝手に『嫌悪』を感じ警戒して『敵対的』なってしまい・・
どちらも、今、目の前でしていることに完全に集中できなくなり普通の暮らしに支障をきたすようになってしまうんだ。
とはいえ『自意識』が過剰になってしまうことは、以下のように日常的に起きてくるものでもあり・・
- 『恋』に興味関心がわきあがる思春期の頃
- 未婚者で『パートナー』を求めているとき
- 『愛』に満たされないおもいを抱えているため『愛』を補完してくれるお相手や癒してくれるお相手を求めているとき
- 自分を好きになれず『自信』がもてないとき、好意をもってくれるお相手がいることで『自信』をもとうとしているとき
- 「◇◇であらねばならぬ」「△△してはならぬ」など自分の望みを強く『抑圧・禁止』して『本当の自分』を認められず、生きていないときなど・・
自分の『意思』ではどうすることもできない『命=魂』レベルで『自意識』が『過剰』になってしまうんだ。
でも・・
『男性性』と『女性性』の『バランス』がほどよくとれている人やどんな自分でも『肯定』して自分のことをたいせつに愛している人だと、人の『視線』や『ふるまい』がそれほど気にならないため『自意識』が過剰にならずにいられるんだ。
いずれにしても『自意識』が過剰になってしまうと『いい意味』でも『悪い意味』でも『気になってしまう人』が『あたま』から離れなくなり、消し去りたいと望んでいても、つきまとわれるような感じになってしまうんだ。
それもそのはず、その人は自分の『影』の姿を見せてくれている人でもあるため『影』を認め、許し、受けいれることができなければ、離れたくても離れてくれず・・
なぜか偶然、出くわしたり、出会うことが頻繁に起きるようになり『好意を感じる』ようになるか『嫌いになる』か、どちらにせよ、いつまでも『影』につきまとわれるようになってしまうんだ。
けれど・・
そんな『気になってしまう人』に『恋』におちてしまうと『恋の病』といったような現象が起き・・
いつもの自分ではない自分になってしまい『平常・平静』を失い『いい意味』でも『悪い意味』でも、人生が変わってしまうことがあるんだ。
ただ・・
互いに『本心』や『本音』を交わしあい『信頼関係』を築けるようになれば、生活や仕事などにおいて互いに影響しあい、高めあえたり、補いあえる関係になれ、よき『ライバル』になったり、最強の『パートナー』になれたりするんだ。
でも・・
相手に嫌われることを怖れ相手の顔色を気にして『本心』や『本音』を交わしあうことができないと『共依存』の関係に陥ってしまうんだ。
それでも『勇気』をだして『本心』を伝え互いに良い方に変化することを望んでいても、相手にその気がない場合は『本当の自分』を『抑圧・禁止』していくしかなくなってしまうため・・
今までの関係を断ち切り、きっぱり離れることができないと互いに足腰を弱め『自立』することができなくなってしまうんだ。
とはいえ『未練』や『執着』や『罪悪感』によって離れられなくなってしまうため、恋しい人と離れることを決め実行するためには、さまざまな『葛藤』に苦しむことになるんだ。
けれど・・
『共依存』の関係に陥り『コントロール』しあって共倒れになる前に『弱い自分』を克服し離れ、互いの『自立』のために一歩を踏みだすことがたいせつになるんだ。
こんな『恋』におちてしまうことは突然やってきて、自分でもどうしていいのかわからなくなるほど『苦しく』なってしまうのは、ここで『真実の愛』を学び『影』と『統合』できるよう・・
『ヘビ』によって惹きあわさせられ『恋』におち、自分の『影』の姿を映して見せてくれる人(同じような『こころの傷』をもった人)をとおして自分の『影』と向きあえるよう神様が仕向けているからなんだ。
それなのに・・
自分の『恋する気持ち』を認めることができなかったり、見て見ぬふりをしたり、相手に気づかれないように振る舞い隠そうとすると・・
そのおもいは『行き場』をなくし『自意識』はむしろ強くなり、もれ出てしまい『モンスター』になってフラフラ『宙』を飛びまわるようになってしまうんだ。
また・・
『恋する気持ち』が思いどおりにならないときに、そんな『辛い気持ち』を埋めようと『甘い』ものや『やさしい』ものにすがったり、忘れさせてくれる『嗜好』や『娯楽』にすがって『本当の自分』をごまかしてばかりいると、これらに『依存』せずにはいられなくなり『不健全』な状態におちいってしまうことがあるんだ。
すると・・
ますます『行き場』をなくした『辛い気持ち』は自分を癒やしてくれそうな人にもっとくっつきたくなって『モンスター』は始終、フラフラ飛び出してしまうようになるため・・
先ほどもお話したとおり、自分の『意識(思考・感情)』の半分以上が『モンスター』になって外に向いているため、今、目の前にあることに完全に集中できなくなり『今、ここ!!』を生きることができなくなってしまうんだ。
こうして・・
自分のたいせつな『気=エネルギー』がもれ出て浪費されてしまうと、自分がやりたいことに『気=エネルギー』を『集中』して使うことができなくなり、どこか、いつも『上の空』のような感じて『地』に足がつかず『フワフワ』したような状態になってしまうんだ。
ただし・・
『恋』は思いどおりにいかなくても、自分が本当にやりたいことをちゃんとわかってあげて、その望みを叶えてあげるようにしていると『本来の本能』は満たされるようになり『自意識』が『モンスター』になってフラフラ飛び出すことが少なくなるため『恋』におぼれて盲目的になってしまいそうになる自分を『距離』をとって冷静に眺めることができるようになれるんだ。
つまり・・
自分が好きなことや得意なことである『才能』や『特技』を活かした『仕事』に励んだり、打ち込める『趣味』や楽しめる『娯楽』や『リラックス』をあたえてくれる『嗜好』を健全に楽しむことができるようになれば・・
満たされない『辛い気持ち』を埋めることができ、さらには仕事で『達成感』を味わったり『成功』することができると、人生に大きな『よろこび』がもたらされ『魂』が満たされるようになるため・・
満たされないおもいを埋めてくれる人を求めて『モンスター』がフラフラ飛び出すことが少なくなってくるんだ。
もし・・
『仕事』や『家庭』で自分の『辛い気持ち』を満たすことができなかったとしても『仕事』や『家庭』以外の『サークル』や『自然のなか』など、自分の生きる世界を広げ・・
好きなことや得意なことを楽しんだり、自分を安心させたり『ホッと』させられる『空間』と『時間』を自分にあたえてあげることができると『リフレッシュ&リラックス』できたり『ストレス』のガス抜きができるようになり『あたま』や『こころ』や『からだ』をほぐすことができるようになるんだ。
自分の辛さをちゃんとわかってあげて、自分を『楽に』させてあげたり『しあわせ』にする責任をもち、自分を『笑顔』に『ご機嫌さん』にできるよう日頃からこころがけ自分のことを『たいせつ』にできるようになると・・
実は相手も『たいせつ』にすることができ、一時の『甘さ』に陥ることなく、互いに『自立』に向っていけるようになるんだ。
こうして・・
『周波数』を高く保てるようになると『自意識』が『モンスター』になってもれ出ることが少なくなるため『自意識過剰』にならずにいられるようになるんだ。
とはいえ・・
ぼくらは、長い間『本来の本能』にしたがい『本来の姿』である『本当の自分』を生きることは『恥ずべきこと』とされ『自己卑下』を植えつけられたり、厳しい『罰』があたえられてきたため『本当の自分』を生きることに強い『おそれ(恐怖)』をなし、本当の『気持ち』や『要望』に素直に正直になることに『罪悪感』を抱いてしまうため・・
『本当の自分』を生きられない『辛い気持ち』をおもいように埋められず『自意識過剰』になってしまうのも仕方のないことであり・・
こんな『自意識過剰』になってしまう自分を自分の『意思』で『コントロール』するのはとても難しいことともいえるんだ。
なぜなら・・
これは『魂レベル』でなされていることであり『自然に還る』ための『プロセス』として『魂』を『浄化』しながら『成長・進化』させることを神様に促されているからなんだ。
なので・・
『自意識過剰』になってしまう自分のことを恥じたり責めたりしないでいてほしいんだ。そんなことをしてしまったら『自意識』はますます外にもれ出て『モンスター』になりやすくなってしまうからね。
むしろ・・
『影』も『光』もあるどんな自分のこともわかってあげて『やさしく』抱きしめ『受容』してあげてほしいんだ。
そうすれば・・
『自意識』が『モンスター』になって外にもれ出なくなってくるよ。
いずれにしても・・
このような『自意識』は『楽園』で暮らしていた『完全なる魂』だったアダムとイブにはなかったものであり・・
人類が共通にもっている『体験』は『一心同体』であった『性(せい)』が切り離されたことによる『魂』の『痛み』や『欠け』による『こころの傷』にあり・・
『片割れ』どうしになった『魂』が再びめぐりあい『ひとつ』になり『完全なる魂』に還り癒されたいという『切なる想い』が『自意識』⇒『モンスター』となってフラフラさまよってしまうのであり・・
こんな『性(さが)』がなせる『情(じょう)』が『命』の根底に流れていているため、ぼくらはひっきりなしに『情動』が引き起こされてしまうんだと、ぼく、サーアイアイは感じているよ。
『自意識』についてさらに詳しくお話するね。
地球の『周波数』が高くなってきていると同時にぼくらの『周波数』も『同調』して高くなり、さまざまな『感覚』が『繊細』に『敏感』になり『感度』がよくなってきているため、今まで『自覚』できなかったことまで感じたり、わかったりするようになってきているよ。
それで・・
自分の『影』=『内なる傷ついた子ども』の存在にも気づくようになってきて 『本来の姿』の『本当の自分』のことも思い出すようになってきているんだ。
『物体』が存在すれば、そこには、必ず『影』も存在しこれが自然で『完全』な『ありよう』だよね。
今までは、自分の『影』の存在に気づかず『認知』できずにいたけれど、地球の『周波数』が高くなるにつれ『光』も大きく強くなり『影』が濃く大きくなって、自分のなかの『影』の存在にも気づくようになってきているんだ。
そうして・・
『影』の自分の姿が浮かび上がり『表』に出てきたことにより『魂』がむきだしになってきているんだ。
これも地球の『進化』の『プロセス』であり、今までの目に見える『物質的な世界』から目には見えない『霊的(精神的)な世界』に移行してきているということでもあるよ。
上記の絵でわかりやすく説明するために『人の姿』を『カップ』にたとえているよ。
『光』が強く大きくなったことで『影』が濃く大きくなってきていて、そんな『影』を『今、ここにいる自分』が気づきはじめているということなんだ。
こうして・・
『影』に気づくようになると自分のなかに『闇・悪・獣』の部分があることがわかるようになってくるんだけど、そんな『闇・悪・獣』の部分が自分のなかにあることを認めるのはとても難しいことでもあるんだ。
なぜなら『影』は『獣』のような自分であったり、おぞましい『考え』や『感情』をもっている自分だったりして、自分が一番見たくない認めたくない姿をしている・・醜い・許せない・嫌いな部分をもっている自分だからなんだ。
けれど・・
そんな『影』の部分が自分のなかにあることを認め・許し・受けいれ・愛することができないと『内なる傷ついた子ども』は自分のことをわかってくれないことに『怒り・悲しみ』自分のことを認めてほしくて『モンスター』になって、フラフラ外に飛び出すようになってしまうんだ。
『光』があたっている部分(表の顔)と『影』の部分(裏の顔)をもっているのが『本来の姿(自然なありのままの自分=はだかんぼうの自分)』であり『影』もある『本当の自分』を認め『自分らしく』生きることができないと、とても『生きずらさ』を感じるようになってきているんだ。
なぜなら、ぼくらももともとは『動物』⇒『獣』でもあるうえに、傷つけられたり辛いことがあったりすると、おぞましい『考え』や『感情』をもつようにもなり・・
いつまでもこどものように『天使』のまま生きることはできないし『失敗』や『過ち』や思わぬ『事故』などによって人を傷つけたり取り返しのつかないことになってしまった『過去』は誰でも多かれ少なかれ持っているものなんだ。
そして・・
こんな『本性』まるだしの自分を厳しく戒め、社会に適応できるように自然にわきあがる『本能』や人間らしい『情(じょう)』までも『✖(バツ)』をつけて否定し排除しようとする『理性的』な自分も『影』のなかに現われてくるようになり・・
この対極にいる『真逆な性質』をした『影』が、それぞれに「こっちにしたがって(本能)」「こっちが正しい(理性)」と不健全な『完璧主義』になってしまうと『0(ゼロ)か100(ヒャク)』かの激しい『葛藤』が起き・・
『からだ』の『欲求』や快感や快楽の『欲望』を優先にした『本能』に傾き過ぎた『影』は『獣』に近い感じなり・・
『規則』や『ルール』に囚われ『理性』に傾き過ぎた『影』は『ロボット』に近い感じになり・・
いずれも『こころ』が置き去りになっているため『今、ここにいる自分』の『ハート』は引き裂きさかれ、とんでもない『苦悩』に見舞われるようになってしまうんだ。
こんな『真逆な性質』をもった『影』が、自分のなかに息づいているため・・
あらゆる『過去』を『ゆるす』ことができないと『被害者意識』や『加害者意識』、『罪悪感』や『自己卑下』、さらには、また同じような『辛いこと』が起きたらどうしようという『おそれ』が自分を苦しめるようになってしまうんだ。
でもね・・
『からだ』と『こころ』の声に耳をかたむけ、その声にしたがうようにしていると、両極にいる『影』は互いに『バランス』をとるようになり『調和』が生まれるようにぼくらはなっているけれど・・
上記のように『本能』も『理性』も互いの主張が強くなりすぎてしまうと『分裂』が起き、とんでもなくキツい状態になってしまうんだ。
『やさしく』なりたい自分がいるのに『厳しく』なってしまう自分もいて「したいことをしたい!!」自分がいるのに「したいことをしてはダメ!!」とストップをかける自分もいて・・
『アクセル』を踏みながら『ブレーキ』が踏まれてしまい、何倍もの『エネルギー』を使っていながら、一歩も前に進めず『体力の消耗』はすさまじいのに、ただ立ち往生している状態に『絶望感』と『むなしさ』ばかりつのり『ヘトヘト』になってしまうんだ。
けれど・・
『周波数』が高くなり、目に見えている『物質的な世界』から目には見えない『霊的(精神的)な世界』に移行する『プロセス』において、これらの『葛藤』を越え『統合』することでしか、自分に『平安』をもたらすことはできず・・
そのためには・・
いかなる『ネガティブ』なことにも、そこに『理解』の『光』をさし込み『影』の姿の自分に『思いやり』という『慈悲のこころ』をもち・・
『ゆるし』と『やさしさ』による『愛』によって『ポジティブ』なものに『変容』することができれば自分のなかに『平安』をもたらすことができ『生きる世界』は変わっていくようになるんだ。
もう少しわかりやすくいうと『無意識』のなかの『暗闇』のなかで、もがきさまよいながらも・・
『影』の自分と出会い・向き合い・自分の姿に気づき・理解し・認め・許し・折り合いをつけ受け容れ愛することができるようになってくると、少しづつ『暗闇』に『光』がさし込むようになり、少しづつ自分に『やさしく』なれるんだ。
そうすると・・
『本当の自分』でいることに『リラックス』できるようになり『生きる世界』は『やさしい世界』になっていくんだ。
とはいえ・・
このことを『あたま』ではすごくよくわかっていて『無意識』を『理解』しようとするものの『感情』の波を静めるのは並大抵なことではないんだ。
『あたま』も『こころ』も『からだ』も重苦しく『モヤモヤ』した日々のなかで自分のことをよく『観察』して・・
自分が『無意識』な状態にいるとき、どれほど『無自覚』や『無知』や『無分別』な状態になってしまっているかを『理解』しようとしなければ・・
『感情』の荒波に押し流され、気が狂ってしまいそうになるか『過ち』を犯してしまいそうになるから、自分のなかの『統合』を果たすのは『試練』の連続ともいえるんだ。
それはまるで、細い糸の上を綱渡りしているかのようであり、どちらかの『影』に傾いてしまうと一気に『バランス』がくずれ『魔』にひきずりこまれ、そのまま転落しそうになる『スリル』があるからなんだ。
それでもなんとか『バランス』をとり『暗闇』に『トーチ』を灯しながら『今を生きる!!』ようにして・・
小さな変化でも確実に『癒し』をもたらしていることを自分で認めてあげながら自分を励まし『忍耐』し、少しづつでも『光』に向っていっていることに『感謝』しながら進んでいくしかなかったんだ。
こうして・・
『影』も『光』もある『本来の姿(自然なありのままの自分=はだかんぼうの自分)』の『本当の自分』をとりもどし、すべてがあって『オールOK!!○(まる)だよ』という『新しい意識(思考・感情)』に変容することができると・・
『理性』と『本能』の『バランス』がほどよくとれた『中庸の世界』にはいっていくことができるようになり・・
『陰陽の統合』と『男性性』と『女性性』の統合がなされ『真実の愛』を生きていた『楽園』に還ることができるようになるんだ。
つまり・・
この『葛藤』を超えていくことが、自然に還り『新しい世界』で生きていくための『魂』の『成長・進化』になるんだ。
それなのに・・
自分の『影』である『内なる傷ついた子ども』のことを認め・許し・受けいれ・愛することができず『✖(バツ)』をつけて否定しては『排除』しようとばかりしているため・・
自分のことを『わかってほしい』『認めてほしい』『愛してほしい』『癒してほしい』『助けてほしい』『本当の望みをかなえたい』という『切なる気持ち』が『無意識』のうちに、外にもれ出て『モンスター』になり『ヘビ』をお供に、あちこちフラフラしながら・・
似たような『傷』をもった他の人にくっついてしまうんだ。
すると・・
『モンスター』にくっつかれた人は『おなか』のなかに住んでいる『内なる傷ついた子ども』の『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』が同調して『古傷』が痛みだし・・
『怒り』や『憎しみ』や『恨み』や『寂しさ』や『悲しさ』や『嫉妬』や『虚しさ』がこみあげ、それらが『吐き出し口』を求めてもがき苦しみだすため『平常・平静』でいられなくなり『情動』が引き起こされてしまうんだ。
こうして・・
他の人の『モンスター』がくっつき密着して離れなくなると、あたかも自分の『意識(思考・感情)』をのっとられてしまったかのようになり・・
『今、ここにいる自分』とは違う『人格』が自分のなかに住んでいるような感じになり、自分のニオイまで他の人の『モンスター』のニオイと同じになってしまうんだ。
それで・・
自分の『意識(思考・感情)』と他の人の『意識(思考・感情)』が混線しているような『感覚』になってしまうため、まるで『ラジオ』に雑音が混ざり音が重なって聞えているような感じになり(実際のラジオには雑音が入り、パソコンなどはマウスの動きが乱れたりするよ)・・
『あたま』も『こころ』も『からだ』も雲や霧や靄(モヤ)がかかったかのようにスッキリせず『イライラ』『モヤモヤ』『グルグル』『グチャグチャ』した『混乱状態』になり『気分』や『体調』が悪くなってしまうんだ。
とはいえ・・
この違う『人格』というのは、自分の『影』のなかにいるさまざまな『人格』(下記の絵の『おなか』のなかにいる子どもたち)なんだけど、そのことにまったく気づくことができないから『異物感』でしかないんだ。
こうして・・
他の人の『モンスター』が『あたま』に住まい『からだ』や『こころ』に障る(さわ)るようになってしまうと・・
『モンスター』を背負っている『首』や『肩』や『背中』や『腰』や『おしり』や『足』に『コリ』や『しびれ』や『痛み』を感じるようになったり、その他にもあちこち『痛み』が走るようになり、さらには『モンスター』を背負っている両脇の腰も張ってきたりして・・
ニオイも『モンスター』のニオイが鼻のなかで充満しているため、本来のニオイに『モンスター』のニオイが上塗りされた感じで、食べ物も『モンスター』のニオイを感じてしまい、すこしも美味しくなくなってしまうんだ。
自分ではないものが入ってきている『異物感』が『おなか』や『肺』のあたりにモヤつき『呼吸器系』の粘膜が『ヒリヒリ』して呼吸が浅くなり・・
ものすごい『気持ちの悪さ』と『気分の悪さ』と『不調』に見舞われ『気(エネルギー)』を取られてしまうため、あたかも『エネルギー』を吸いとられているような『感覚』になり・・
今、目の前でしていることに『集中』できなくなるため『今、ここ!!』を生きられなくなってしまうんだ。
このときのものすごい『気持ちの悪さ』をさらに詳しくお話すると・・
『過去』の『ドラマ』につながる『チャンネル』が変わるたびに『思考』も『感情』もクルクル変わり『無意識』のなかで・・
- 『あたま』は誰かや自分や出来事を責めるような『思考』がうずまき
- 『イライラ』したり『ムカムカ』したり『ドキドキ』しては、身構えたり・逃げようとしたり・闘おうとしたり・身をすくめたり・じっと耐えたりする『緊張状態』にあるため『あたま』も『こころ』も『からだ』も過大な『ストレス』を感じ
- 『からだ』はよじれたりねじれたりして『歪み』が生じるため『からだ』のあちこちに『痛み』が現われ
- 『ニヤニヤ』したり『ムラムラ』してしまうような『性的』な『刺激』や『欲求』を『からだ』で感じるため『変な気分』や『イヤな気分』になったり、ときには『性感』を感じやすい部位に『違和感』や『痛み』を感じたりして・・
なにも起きていないのに『緊張』や『性的刺激』により『感情』と『呼吸』は乱れ『ホルモン』や『自律神経』は『バランス』を失うため『気(酸素・エネルギー)』や『血(血液)』や『水(体液)』などの『めぐり』が悪くなり『手足』は冷え『からだ』は『歪み』・・
『首』や『肩』『背中』や『腰』や『手や足』などに『コリ』や『しびれ』や『痛み』が現われるようになってしまうんだと、感じているよ。
こうして・・
『過去』につながる『チャンネル』が変わるたびに『からだ』や『こころ』の『痛み』や『不調』もあちこち変わるため『不定愁訴』のようになり・・
病院で不調を訴え検査をしても、特に病気として診断されず『未病』という『状態』のまま『ストレス』を軽減できずにいると、やがてこれが病気につながってしまうことがあるんだ。
このようにして引き起こされる『情動』は『無意識』のなかで繰りひろげられているため、ほとんどの人は『自覚』できずにいるけれど・・
ぼくは『モンスター』が近くにいたり、自分のなかに入りこんできているのを『眉間』のあたりでキャッチするほかにも『空気のゆらぎ』や『ニオイ』として感じ・・
特にひとりでいるときなどに、こんな『モンスター』と『ヘビ』によって『情動』が引き起こされやすくなってしまうんだ。
でも・・
人はなんの悪気もなく自分でも気づけない『無意識』のうちに、人を『善悪』や『上下』や『損得』で『判断』しては、責めたり傷つけたりする『ネガティブ』な『意識』を放っているため・・
人がいるところでは必ず『モンスター』が『宙』をフラフラしているんだ。
特に、満たされないおもいや『ストレス』を強く感じている人だと『モンスター』も大きくなり、ぼくはこんな『モンスター』と『ヘビ』によって『情動』が強く引き起こされ苦しんでしまうんだけれど・・
実は自分の『影』が『ネガティブ』な『意識』を放っているから『モンスター』を引き寄せてしまっているのであり・・
『いい子・いい人』として生きようとしていると、人を『善悪』や『上下』や『損得』で『判断』するなんてことはしてはいけないと『✖(バツ)』をつけて否定してしまうため・・
自分の『影』に『✖(バツ)』をつけて否定していることにも気づけず、結局は、自分を罰し苦しめていることになるんだ。
だから・・
むしろ『善悪』や『上下』や『損得』で『判断』してしまうのも人『性(さが)』なのだと認め、わかってあげられるといいんだけど、それがおもうようにできないと・・
『影』の自分である『内なる傷ついた子ども』は・・
- 『本当の自分』の姿をわかってよ~
- 『いい子・いい人』ではなく『本当の自分』を生きたいよ~
と泣きながら訴え叫び続けてしまうんだ。
それなのに自分の『辛い気持ち』をわかってあげようともせず、自分に『ウソ』をついて『いい子・いい人』になろうとばかりしていたり、人の顔色をうかがい『期待』に応ようとばかりして『無理』させていると・・
その『辛い気持ち』が『モンスター』になってフラフラ外に飛び出してしまうんだ。
そうして・・
自分の『影』から『モンスター』が外に飛び出てしまうと、その代りに他の人の『モンスター』が自分のなかに入り込んできてしまい・・
苦しんでいる『内なる傷つた子ども』に「いい加減、目を覚まして『本当の自分』に気づけよ~」と知らせてくれるんだ。
なぜなら・・
自分のなかにいる『影』のことを自分の『目』では見ることはできないから、こうして似たような傷をもった他の人の『モンスター』がはいりこみ『気づき』をあたえてくれるんだ。
目に見える世界でも『嫌いな人』や『許せない人』やなぜか『気があわない人』やなぜか『気になってしまう人(ひっかかりがある人、または好意をよせてしまう人)』がいると、その人が『あたま』のなかにちらつき離れなくなり『イライラ』したり、あれこれおもいをめぐらしたりして、目の前のことに集中できなくなるよね。
それは、その人が自分のなかにいる『影』と同じような姿をしているからなのであり・・
『影』は『表』の自分と『ひとつづき』につながっていて離れることができない、もうひとりの自分でもあるのに、そんな『影』に『✖(バツ)』をつけて否定しているから・・
『異物感』や『違和感』としか感じられず、つきまとわれている感じになってしまうんだ。
また・・
自分の『影』の姿を見せてくれている人と関わった後に、自分の『ありよう』や『言葉』をついつい振り返り・・
- 「なんか悪いことでもしたかなぁ~」とか「あれでよかったのかなぁ~」と考えてしまったり⇒『罪悪感』
- 自分とその人の関係において『上・下』とか『優・劣』を判断してしまったり⇒『自己卑下』
- なんかひっかかりを感じ、次に会うのが少しイヤなだなぁ~と感じたり⇒『おそれ』
がある場合は『コントロール』の関係に陥りやすいともいえるから『ほどよい距離』を保つことがたいせつになるんだ。
このように・・
自分のまわりにいる人たちや『モンスター』が、絶えず自分の『影』の姿に気づくようにしてくれているんだ。
とはいえ・・
人と接しているときは、みんな互いに『表』の自分になっていて、目の前の人に『気』が向いているため『影』の自分が出る隙(すき)がなく、人といることで小さな『緊張感』もあるおかげで『モンスター』に『意識』をのっとられずにいられ、むしろ、元気でいられたりするんだ。
けれど・・
ひとりでいるとき、なにかに『熱中』や『没頭』や『集中』をしきれていないと『影』の自分が『モンスター』になってもれ出てしまい、他の人の『モンスター』が入りこみやすくなってしまうんだ。
こんな『ひとりでいるとき』に『モンスター』が入りこみやすくなる時間帯は・・
- 夕食の『ニオイ』がするころ
- 眠りに就こうとしているときや夜中の1~3時半ごろの陰の気が強くなる時間帯
- 自分がしたい仕事をして頑張ろうとしているとき
- 『リラックス』しようとしているときやおいしいものを食べようとしているときなど『しあわせ』な気分でいようとしているとき
- 好きな人を思い浮かべ『いい気分』になろうとしているときに、いい意味でも悪い意味でも『気になってしまう人』がちらついたりして・・
『コントロールの世界』による愛が『無意識』のなかで繰りひろげられてしまい・・
健康に『しあわせ』に『本当の自分』を生きようとすることを他の人の『モンスター』に『邪魔』されているかのように感じてしまうんだ。
もともとのぼくらは『食』と『性』の『本能の欲求』を気持ちよく満たそうとする『ヘビ』の『性エネルギー』と『安らぎ』をあたえてくれる『白ヘビ』の『性エネルギー』が『バランス』よくあることで・・
健康に安全に自分がしたい仕事に『精』をだし、好きな人と結ばれ『しあわせ』に生きていくことができる『本性』をもっているのに・・
自分自身の『ヘビ』の『性エネルギー』を『敵』や『悪魔』にして『監視・干渉』し『抑圧・禁止』していたり、その反対に『ヘビ』に操られ『本当の自分』を生きられず、人やなにかに『依存』してしまうと・・
生きる基本となる『基本的欲求=食べる・眠る・排泄する』がままならなくなり『仕事』で収入を得ることも思うようにできなくなり『安らぎ』も得られなくることで『白ヘビ』との『バランス』もくずれ・・
『食』と『性』が気持ちよく満たされなくなるために『生存』と『子孫繁栄』も危うい感じになってしまうんだ。
こうして・・
自分の『影』に『✖(バツ)』をつけて否定してしまうと、自分自身に『✖(バツ)』をつけて否定していることになってしまうため『苦痛』や『息苦しさ』を感じるようになってしまうんだ。
『モンスター』によって『情動』が引き起こされると・・
- 急に目が閉じそうに眠くなってしまったり(心身を休ませ守るため)『からだ』が熱くなったり、汗がでたり、からだがかゆくなったり
- 『からだ』のどこかがしびれたり、痛くなったり、こったり
- 声がしゃがれたり
- 咳やくしゃみがでたり、のどがイガイガしたり
- 髪の毛が乱れたり、髪の毛が首にくっついたり
- 本当のニオイがわからなくなり、味もわからなくなったり
- 耳の奥に『キーン』とした『高周波音』が鳴り止まなくなったり
- 手のひらが他の人の『モンスター』と同じニオイになり、ヌラヌラしたり(手洗いの時に感じる)
- お腹が重くなったり、痛くなったり、ゴロゴロいったり、急激な腹痛があったり(便秘や下痢につながる)⇒携帯用カイロでお腹を温めると楽になる
- 顔の前に細かい糸というか繊維というか透明なクモの巣のようなものがやってきて、それに反応して顔や皮膚がヒリヒリしたり、目ヤニが出たり、目がかすんだり、目がかゆくなったり(アトピーにつながる)
- まぶたや顔面がピクピクし、けいれんしたようになったり
- 歯茎が痛くなったり、腫れたり、膿がでたり、あごのあたりが痛くなったり(歯周病や口内炎につながる)⇒ポビドンヨード液で朝・晩うがいすると楽になる
- 尿意や便意を急にもよおしたり(縄張り意識の名残?)
- ため息がでやすくなったり(無意識の深呼吸により脳の酸欠を防ぐ)
- 鼻血がでやすくなったり(性エネルギーによる興奮)
- イライラ怒りっぽくなったり、気分がしずみがちになったり(感情が乱れる)
- 心臓が『ドキドキ』『バクバク』したり
- 足裏や体が感電したように『ビリビリ』しびれたようになるほか・・
- 物を落としたり、注意が散漫になったり
- 急にニヤニヤしたり、しかめっ面になったりして・・
さまざまな『ストレス』を感じるようになってしまうんだ。(『意識(思考・感情)』が発する『周波数』とは・・でも『モンスター』による『現象』を伝えているよ)
また・・
『風邪』をひいたような感じになることもあり『モンスター』の『邪気』は『ウイルス』と似ていると感じているよ。
さらには、この状態が慢性化してしまうと『交感神経』が過剰に働くようになり『副交感神経』との『バランス』がとれなくなり『自律神経失調症』になりやすくなったり『免疫の暴走』による『アレルギー体質』になりやすくなると感じているよ。
けれど・・
こんな『からだ』の不調よりも、もっと怖ろしいのは『あたま』に『雲』や『霧』や『靄(モヤ)』がかかったかのようになり『平常・平静』だった『精神』がどこかにいってしまい、思考力や集中力もなくなり、目は覚めているのに『うすぼんやりした世界』の『夢のなか』にいるみたいで・・
自分が自分でないみたいな『現実味がない世界』でただ漫然と時を過ごし、時間をもてあましているだけのような状態になってしまうことがあるからなんだ。
こうして・・
『浅い呼吸』と『思考停止』の状態がず~っと続くいていると『からだ』も『こころ』も『あたま』も重くぼんやりして、寝込んでしまったり『うつ』のようになったりして、生産的なことができなくなってしまうこともあるからだよ。
また・・
手のひらや爪の先や首元や髪の毛や排便するところや汗などから、他の人の『モンスター』のニオイがするようになったり、それだけでなく服や身につけているものまで、そのニオイが染みついてしまい『鼻』や『口』が『モンスター』のニオイに支配されてしまうようになると・・
『本当(リアル)』のニオイや味がわからなくなったり、口が苦(にが)く感じたりして、食べ物がおいしくなくなる現象も起きてくるよ。
これらのニオイはどれも鼻につくニオイとして感じられ『おなか』から『肺』『気道』『口』『鼻』『顔』の粘膜が『モヤモヤ』『ヒリヒリ』したような『気持ちの悪さ』によって『みぞおち』のあたりや『おなか』が重苦しく痛くなって『モンスター』の『気(エネルギー)』がとどまっている感じがするんだ。
ただ、上記のような状態になった場合でも、耳の奥に圧を感じたり、くしゃみや鼻水がでてきた場合はこれらの『症状』が軽くなるので『モンスター』の『邪気』がはらわれた感じがし『免疫』がいい感じに働き『からだ』が守られたようにも感じるんだ。
こんなことから『情動』が引き起こされると小さな『刺激』にも過剰に反応し『免疫が暴走』してしまうのではないかと、ぼくサーアイアイは感じているよ。
さらに・・
このような『情動』による症状を重くしてしまうのが、タバコ(電子タバコなど、タバコの代用になるものも含む)なんだ。
特に『感受性』が強く『過敏』な人だと、タバコによる『ダメージ』をより強く感じてしまうため、とても生きずらくなってしまうんだ。
本人も気づけない『無意識』のなかで『ネガティブ』な『気(エネルギー)』=『意識(思考・感情)』をタバコで吐き出し、さらに有害な『化学物質』も同時に吐き出していると、まわりにいる人たちは『情動』が引き起こされ・・
この自然ではない『気(エネルギー)』をダブルで感じてしまうため、自然である『からだ』も『こころ』も拒否反応を示すようになってしまうんだ。
ぼくの場合、タバコの気配を感じただけで、ツンとした鋭い『痛み』を『からだ』のどこかで感じながら、心身にとって有害になるものが『鼻』や『気管支』や『肺』に入っていくのを『粘膜』が『ヒリヒリ』する『感覚』で感じてしまうだけでなく・・
誰かが吸っているタバコを自分も一緒になって、吸ったり吐いたりしいているかのようになり『からだ』のあらゆる細胞たちが、タバコの恐怖におびえ、軽い『アナフィラキシー』や『パニック障害』と似たような症状になってしまうんだ。
それに・・
タバコなどの『化学物質』のニオイを感じると『無意識』のうちに「このニオイ、イヤだ。吸いたくない・・」という『意識』が働き息をとめてしまうため、ものすごく息苦しくなってしまうんだ。
こうして・・
タバコを吸っている人の『ネガティブ』な『気(エネルギー)』をタバコを吸っていない他の人たちまでも感じてしまい『情動』が引き起こされることで、さまざまな病気にかかりやすくなってしまうんだと感じているよ。
というわけで、当人にとってもまわりの人にとっても、タバコは『免疫系』に支障をきたすものであり、糖尿病や高血圧など、ほかにもさまざまな病気を誘発させ、タバコは『ストレス』を誘因させ、心身に『ダメージ』をあたえるものになっているんだ。
ただ・・
タバコを嗜好品として楽しく吸っている人の吐き出す息であれば、もしかしたら『情動』は引き起こされないのかもしれないけれど、有害な『化学物質』は吐き出されてしまうので・・
自分の健康のためにもまわりの人の健康のためにも、自分にあった『リラックス法』を見つけて『禁煙』できればみんなが『♡happy・happy♡』になれるよね。
こんなタバコやタバコ以外のものでも『あたま』を麻痺させ、一時的に『辛さ』を忘れ『快感』や『快楽』を得られるものに頼り、それらを『不健全な状態』で常習している人の『息』=『意識(思考・感情』=『気(エネルギー)』を感じると・・
ぼくは『情動』が激しく引き起こされ『からだ』のなかの『電気』の流れが激しく乱れ『感電』しているかのようになってしまうんだ。
こんなふうになってしまうのは、自分の本当の『気持ち』や『要望』を抑えつけている『ストレス』をなにかで、なだめたり紛らわしたりごまかしたりすことを『魂』が嫌がっていて、それよりも『本当の自分』を生きて欲しいと強く願っているからなのだと感じるよ。
『ストレス』をなくす一番、自然なことは『本当の自分』を生きることなんだと、神様が知らせてくれているんだ。
とはいっても、社会で生きていれば『本当の自分』のまま生きることは難しく、まわりの『期待』に応える自分になろうとしたり、少しでも素敵な自分、カッコいい自分になって、社会や好きな人に認めてもらいたいと願うのは誰しも多かれ少なかれあるものだよね。
でも・・
そのために自分をごまかし『ウソ』をついて生きることに甘んじてしまうと『魂』はその状態に我慢できず「もう、自分に『ウソ』をつきたくない『本当の自分』を生きたい・・」と『警告』を鳴らし『情動』が激しく引き起こされてしまうんだと、ぼくサーアイアイは感じているよ。
ぼくら『生き物』は『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために、起きている時も眠っている時も自分や家族やたいせつな人の『暮らし』や『命』を守ることと『優秀な子孫』を残すためにさまざまな『情報』のやりとりが『無意識』のうちになされていて・・
それらの『情報』は『テレビ』や『ラジオ』の電波のように『周波数』を発し、 互いの『気(エネルギー)』を『干渉』しあっているよ。
それはちょうど、パソコンやスマホに特になにも起きていないように見えても、実は『バックグラウンド(背景)』では、目には見えない『情報』のやりとりがなされ、常にパソコンやスマホに『影響』が及ぼされているのと似ているよ。
このように・・
ただ普通に生活しているだけでも『無意識』のうちにひっきりなしに『情報』のやりとりがなされ『情動』が引き起こされ、上記のような『心身』に支障をきたすだけではなく・・
- 聴いていたラジオに雑音がはいってきたり
- パソコンの動きが悪くなったり
- 電化製品の調子が悪くなったり、故障したり
- 部屋のなかがミシミシ、ギシギシ、バリッといったり、小さなラップ音が壁から聞こえてきたり
- 小さな突風が吹いてきたり
- 小さな虫が飛んできたり、蚊もブンブンやってきて刺されやすくなったり
- 外で鳥やカラスが大きな声で鳴いていたりバタバタしていたり
- 犬が吠えていたり、小さな子どもが泣いていたりなど・・
さまざまなものに『影響』がおよぼされているよ。
また・・
人体には『電気』が流れているため『電化製品』と同じで地球にしっかり『接地』=『アース(earth)』していないと・・
自然ではない低い『周波数』の『気(エネルギー)』つまりは『ネガティブ(否定的)』な『気(エネルギー)』や『化学物質』の『ニオイ(エネルギー)』を感じるたびに『干渉』が起き・・
『あたま』でノイズを感じ『こころ』で感情がかきみだされ『からだ』で違和感やしびれや痛みを感じ『免疫系』に支障をきたす症状が出るようになってしまうんだ。
このような低い『周波数』の『気(エネルギー)』は、人の『意識(思考・感情)』だけではなく、土地や物や映像や音、または電化製品などからも発せられ・・
その『気(エネルギー)』が強いと、足の裏がしびれているような『感覚』になり、自分自身が小さく『ワナワナ』震えているのがわかるぐらい、人は『無意識』のうちにさまざまな『気(エネルギー)』を感じているものなんだ。
例えば・・
ここに来ると『気分がいい・気持ちいい』と感じる場所は『パワースポット』と言われ『周波数』が高いところということになり・・
ここにいると『気分が滅入る・体調が悪くなる』と感じる場所は『磁場』がよくないといわれ『周波数』が低いところということになるんだ。
なので・・
これからの『新しい生き方』としては、自分の『気(エネルギー)』を守るために、地球にしっかり『接地』=『アース(earth)』することがたいせつになり・・
そのためには、自分なりの『自然な生き方』をこころがけ『自然とつながる』ことが必要になるんだ。
『自然とつながる』方法としては・・
できるだけ豊かな自然に触れ『五感』をフルに使って、自然の『良質なエネルギー』をチャージすることと『丹田』を鍛える『腹式呼吸』によって・・
『グラウンディング(地に足をつける)』して『センタリング(自分軸をもつ)』することができるよう日常生活のなかで『習慣』づけていると、自分のたいせつな『気(エネルギー)』を漏(も)らすことなく自分の内にこめることができるようになってくるよ。
すると・・
『生命エネルギー』のセンターである7つの『チャクラ』が美しく輝きだし・・
『今、ここ!!』を『リラックス』しながら『いい気分』でいられるようになるため『最高のパフォーマンス』を得ながら疲れにくくもなり、毎日を快適に楽しく過ごせるようになるんだ。
まさに・・
『地球』や『宇宙』の愛とつながることができるんだ。
すると・・
健康な『心身』を維持しながら自分の『性エネルギー』を自分の『花』を咲かせることにフルに活用することができるようになり『夢』や『希望』をかなえながら『ワクワク』して生きることができるようになるんだ。
さらには・・
『自然治癒力』も活性化され、いつまでも若々しく美しく輝いて生きられるようになるんだ。
これが『情動』の昇華にもつながるよ。
これまでお話しているとおり『周波数』が高くなってきているぼくらは『過敏』になってきているため・・
- 人が発する『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』や『ストレス』から発せられるニオイ
- 人が発する『タバコ』『香水・芳香剤』などの『化学物質』のニオイ
- 人が発する『声』や人が作動させているものから出る『音』(車やバイクなどのエンジン音やパソコンなどの操作音など)
これらのニオイや音や気配のようなものが『勘』にさわり『気』をとられ・・
- 『あたま』は『ネガティブ』な『考え』が『グルグル』うずまき混乱し
- 『こころ』は『おなか(腹)』のなかから『グツグツ』とわきあがる『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』や『嫉み』の『感情』で乱れ
- 『からだ』は、とにかくものすごく気持ち悪くなり『首』や『肩』『背中』や『腰』や『おしり』や『手や足』やその他、あちこちが、こったり、しびれたり、痛くなったりして・・
『情動』が引き起こされ、目の前のことに『集中』できなくなり『気分』や『体調』が悪くなってしまうため、これらの『ニオイ』や音や気配を『邪気』としてとらえるようになってしまうんだ。
『邪気』とは、人の『気分』や『体調』を害し、病気を起こす『悪い気』ということなんだけれど・・
『坊主、憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い』という『ことわざ』にあるように『袈裟』が悪さをするわけでもないのに『坊主』が憎いというだけで『袈裟』を見ただけで『気分』が悪くなり『袈裟』まで憎んでしまうのがぼくらの『感情』であり・・
嫌いな人の体臭や嫌いな人がつけている香水や柔軟剤の『ニオイ』を嗅いだだけで、ぼくらは『気分』が悪くなり、体臭や香水や柔軟剤を『邪気』ととらえてしまうんだ。
特に・・
『ニオイ』は、ぼくらの『原始の脳』に直接、届き『過去』の記憶をよみがえらせ『感情』を大きくゆさぶるものでもあるため・・
ある『ニオイ』によって『懐かしい景色』や『愛しい人の顔』が浮かんでくると、その『ニオイ』は『よいニオイ』としてとらえられ、その時の『いい気分』がよみがえることで、和んだり、癒されたり、温かい気持ちになったりするけど・・
その反面、ある『ニオイ』によって『過去』の『イヤな場面』が浮かんでくると、その『ニオイ』は『イヤなニオイ』としてとらえられ、その時の『イヤな気分』がよみがえることで、苦しくなったり、辛くなったり、悲しくなったり、寂しくなったり『からだ』のどこかが痛くなったりして、その『ニオイ』は『邪気』ということになってしまうんだ。
このように『ニオイ』によって浮かび上がる『過去』の『映像』が違うだけで『癒し』にも『邪気』にもなってしまい・・
『ニオイ』がいかにぼくらの心身に影響をおよぼしているかがわかるよね。
さらに・・
人が発する『ニオイ』は『ストレス』や『心身の不調』も知らせてくれていて・・
- 獣のようなニオイ
- 糞尿のようなニオイ
- 肉や魚や油が腐ったようなニオイ
- ドブのようなニオイ
- かび臭いニオイ
- 玉ねぎが腐ったようなニオイ
- リンゴが腐ったような甘いニオイ
- 焦げ臭いニオイ
- ガソリンのようなニオイ
- 火薬のようなニオイ
- なんらかの食べ物のニオイ
- タバコのニオイ
- ニオイを打ち消そうとする芳香剤(香水・柔軟剤・ルームコロンなど)』のニオイなど・・
『おなか』のなかに住んでいる『内なる傷ついた子ども』の『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』や『嫉妬』や『虚しさ』などの『ネガティブ』な『感情』が『毒ガス』のようになってもれ出て、このようなニオイになってしまうんだと感じているよ。
というわけで『ニオイ』によってどのような『感情』になっているかがおおよそわかるため、どんな『病気』にかかりやすくなるかもわかるということなんだ。
というのも、それぞれの『感情』と対応する『臓器』と『ホルモン』により、どんな『不調』を起こすかを探ることで、どんな『病気』にかかりやすくなるかがわかるからなんだ。
まさに・・
『病は気から』ということになるんだ。
『ネガティブ』な『感情』は『ネガティブ』な『思考』によってわきあがってしまうものなんだから、その『ネガティブ』な『思考』を『ポジティブ』なものに切り替えれば『感情』をしずめることができると思いきや・・
ぼくらの『こころ』と『からだ』はそう簡単に割りきれるものではなく『あたま』でわかっていても『こころ』がついていけないと『からだ』が反応してしまうんだ。
下の絵は、ぼくらの『傷ついた魂』をあらわしているよ。
トゲトゲの『こころ』になってしまった『傷ついた魂』は『内なる傷ついた子ども』として『おなか』のなかに住み、怒り、悲しみながら、さまざまな『ネガティブ』な『感情』をわきあがらせ『ネガティブ』な『思考』が『あたま』のなかで『グルグル』まわっているんだ。
このように・・
『ネガティブ』な『思考』と『感情』により『ストレス』をぬぐうことができないでいると、それが外にもれだし体臭となってしまうんだ。
ぼくは、自分の『影』が『表』に浮かび上がってきたころから普通の人にはわからない『フェロモン』のニオイもわかるようになり『モンスター』の『ニオイ(感情のニオイ)』までわかるようになってから、それらの『ニオイ』が『邪気』として感じられ、心身にものすごく障る(さわる)ようになってしまったため・・
目には見えない『*ニオイ(エネルギー)』がものすごく怖いものになってしまったんだ(ニオイは『エネルギー』でもあるよ)。
それに・・
『無意識』のうちに「このニオイ、イヤだ。吸いたくない・・」という『意識』が働き息をとめてしまうため、ものすごく息苦しくもなってしまったんだ。
でもね・・
不思議なことに、目の前にいる人の体臭はそれほど気にはならないんだ。これは、タバコや香水や柔軟材の『ニオイ』についてもいえることなんだけどね。
「あ、ニオっているな・・きっとストレスをかかえているんだな・・」とその人の辛さを『思いやる』ことができるため『寛容』でいられるからなんだ。
これを思うと、目に見える『物質的な世界』から目には見えない『霊的(精神的)な世界』に移行してきていることがよくわかるようになってきたよ。
なぜなら、目に見えることより目には見えないことの方が心身におよぼす影響が大きいことを『実体験』しているからだよ。
ぼくらの『原始』のご先祖様は『目』や『耳』や『あたま』がないころ、呼吸をする『皮膚(肌)』または『鼻』の『感覚器官』だけで『危険』や『安全』を察知していたんだ。
その名残として、みんな『無意識レベル』では『皮膚(肌)』で感じる『気配』や『鼻』で感じる『ニオイ』で直感的に『危険』や『安全』に関する『情報』を得ているはずなんだ。
陰気で暗い場所に行くと肌がゾワっとして、そこから早く離れようとするのは、不気味な『気配』や湿気っぽい『ニオイ』から『危険』を直感的に察知しているからであり・・
特に『ニオイ』は『生存(子孫繁栄)』と『防衛』に関するさまざまな『情報』を伝えてくれているんだ。
こんなことから『気配』や『ニオイ』による『刺激』から得られる『情報』を『原始の脳』がキャッチすると、ぼくらの『気分』や『体調』になんらかの『影響』がおよぼされ『情動』が引き起こされてしまうんだと感じているよ。
なので、ぼくにとって『情動』を引き起こす一番の『刺激』が『気配』や『ニオイ』による『気(エネルギー)』になっていることもうなずけるんだ。
近くにいるとき『いいニオイ』だと感じる相手、特に男女だと『気分』よくいられるため、ずっと一緒にいたいと思えるのは『生存』と『子孫繁栄』にとって『いいことづくめ』であり、しかも仲良しでいられるからなんだ。
『いいニオイ』だと感じる相手だと『遺伝子レベル』で快感を感じ、癒され安らぎを得られるから、単純に『リラックス』できて「ずっと近くにいたい、共に生きていきたい」とおもえるようになるばかりでなく・・
病気にかかりにくい『優秀な子孫』を残すこともでき、共にいることで自分たちの仕事も子育てもふたり仲良く互いの足りないところを補いあい助けあっていくことができるからなんだ。
このようなふたりは『凸と凹』のような真逆の性質をもっていながら、あわさったときにピッタリはまり完全になれるため、息もあい、いろんなことが『スムーズ』にいき、共にいることで互いが最高に輝けるふたりになれるんだ。
極端に言えば姿が見えなくても『ニオイ』だけで『魂』が共鳴し、目に見える姿形(すがたかたち)や年齢や条件などを超えて惹きあい・・
永い間、宇宙を旅してきた『片割れ』どおしだった『魂』がやっと出会い『ひとつ』になり『楽園』に還ることができるという感じになれるんだ。
けれど・・
『イヤなニオイ』だと感じ『気分』が悪くなる人とは、似たような『傷』をもっているため(似たような遺伝子をもっている)、互いに『過去』にかかったであろう『病気』になりやすかったり『子孫』もまた『病気』にかかりやすい『弱い子孫』を残すことになってしまうんだ。
とはいえ『ニオイ』を香水や柔軟剤などで消していると、最初は、強く惹きあい『恋』におちるようになるけれど、互いに『本性』をだすようになると、互いに自分の『影』を相手に映しだし『バトル』を繰り返すようになるばかりでなく、それでも離れ難く感じてしまうと『共依存』の関係におちいってしまうようになるんだ。
また・・
思春期の女の子が父親の『ニオイ』をくさいといって、避けたり急に冷たくなるのは『遺伝子レベル』でなされていることであり・・
『優秀な子孫』を残すために、似たような遺伝子をもっているものどうしが『近親相姦』になることを避けるために起きているんだ。
もともと、ぼくらも『動物』であるため『生存』と『子孫繁栄』のために『縄ばり』や『防衛』の『情報』を『ニオイ(フェロモン)』でやりとりしていて・・
急に尿意をもよおしたり、人が発する『ニオイ』によってその人を避けるようになるのは、動物的な『本能』によるものであり、近くに寄ってきた誰かと共にいることで闘いあったりすることがないよう、ほどよい『距離』をとった方がいいことを『ニオイ』が知らせてくれているのだと感じているよ。
『あたま』が発達し、社会の『ルール』や『教え』により『本来の本能』にしたがうことに『✖(バツ)』がつけられ、自然にわきあがる本当の『気持ち』や『要望』を『あたま』で抑えこむことでしか『危険』をのがれ『安全』でいられなくなってきたぼくらは・・
『からだ』や『こころ』が感じる『本能』や『直感』にしたがうより『あたま』にしたがったほうが『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『有利』になるという『思考回路』ができあがり・・
『本来の本能』と『直感』は閉じていかざるをえなくなり、自然とつながっていたもともとの『免疫システム』に狂いが生じるようになったのかもしれないと感じているよ。
こうして・・
生まれついたときからもともともっていた『男性性』と『女性性』の『バランス』はくずされ、長い間、続いてきた『男性性優位』の社会により『権力』を持たない者や武力が弱い者、そして女性たちは、自分のもっている『男性性』に『✖(バツ)』をつけられ抑えつけてきたことにより・・
『ありのままの姿』で生きることを許されず、楽しくできる仕事につくことも好きな人と恋することも『抑圧・禁止』され、そんな『社会』のさまざまな『偏見』や『差別』によって『本当の自分』を生きられない苦しさを繰り返してきたんだ。
これによって『男性ホルモン』がたくさんでている男性特有の『ニオイ』や『気配』を感じただけで、男性に虐(しいた)げられたり、脅(おど)かされたり、我慢させられた『記憶』がよみがえり『支配・服従』の念や『恐怖・憎悪』や『危険』を感じるようになり・・
とっさに、逃げようとしたり、おびえたりする『思考回路』ができあがり『気分』や『体調』が悪くなってしまう『情動』が引き起こされるようになり・・
これが繰り返されていくうちに、この一連の流れが『DNA』に刻まれ『免疫が暴走』するようになったことで『自己免疫疾患』が女性に多いこともうなずけると、ぼく、サーアイアイは感じているよ。
また・・
『女性ホルモン』の減少に伴い『男性ホルモン』との『バランス』がくずれることで、上記と似たような『現象』が起き、心身にさまざまな影響がおよび苦しんでしまうのが『更年期障害』なんだと感じているよ。
『男性性』に傾き過ぎ『男性ホルモン優位』の人の『ニオイ』と、その反転として『女性性』に傾き過ぎ『女性ホルモン優位』の人の『ニオイ』には『特有』の『ニオイ(フェロモンレベルで嗅ぎ分けられるニオイ)』があり・・
それらの『ニオイ』を感じると『怒り』や『悲しみ』や『嫉妬』の『感情』がわきあがり『情動』が引き起こされ、さまざまな『病気』につながっていくようにも感じているよ。
まさに、男女間で起る『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる『思考』と『感情』がいかにぼくらの『気』を病ませ、さまざまな『病気』の要因になっているかに驚かされるよ。
さらに・・
文明の発達により仕事や暮らしは『合理的・効率的』であることが求められるようになり・・
機械や『化学物質』を使用することで安価に大量生産できるものがもてはやされるようになったことで仕事や生活の仕方は変わり、食品も保存が効き見た目がきれいな食品を生産することで安全や物流も変わってきて・・
便利や快適や清潔であることをどんどん追求しているうちに、生活の様式や習慣はどんどん変化していき、人々の『暮らし』も『体質』も知らぬ間に自然から遠のいたものになっていき『免疫システム』はますます狂いが生じるようになり・・
『免疫』に関わるさまざまな『病気』や『アレルギー』や『ウイルス』が出現するようになったのかもしれないと感じているよ。
人間優位の目先の利益や利便や合理性を『優先・重視』した暮らしのなかで『資源』は搾取され『自然環境』は破壊されたり『化学物質』により『大気』や『土壌』や『海水』は汚染され・・
人々は『時間』に追われ『人間らしさ』は失われ、少しでも不都合や不愉快や不満になるものには『✖(バツ)』がつけられ『排除』しようとしてきたことで・・
自然に対する『畏敬』の念や『感謝』はうすれ自然と『折り合い』をつけて上手に『共存』『共栄』することができなくなってきたんだ。
でも・・
もうこれ以上我慢できなくなった『地球』は悲鳴をあげるようになり『自然災害』や得たいの知れない『ウイルス』などの出現によって『警鐘』を鳴らすようになり・・
自然なものである『からだ』や『こころ』も悲鳴をあげるようになり・・
『からだ』は『化学物質』に『過敏』に反応するようになり『こころ』は『ネガティブ(否定的)』な『気(エネルギー)』に『過敏』に反応することで『本来の姿』である『本当の自分』で生きることができないと『息苦しさ』や『生きずさ』を感じるようなってきて・・
『本来の姿』の『自然に還る』ことを促されているように、ぼくサーアイアイは感じているよ。
これらは、あくまでもぼく、サーアイアイが体験したことによる『洞察』によるものであり、医学的な根拠があるものではないけれど、感じることは、案外、当たっているところもあるかもしれないよね・・。
『光』が強くなり『影』の姿が浮かび上がってきているため、自分にも人にも『ウソ』をつくことはできなくなり・・
『本来の姿』の『本当の自分』を生きたいとおもうようになってきているのは『自然に還る』ことを促されているからなんだ。
ぼくらの『魂』の『成長・進化』においてはそれが自然なことだからだよ。
それで・・
『本当の自分』を生きることに『✖(バツ)』をつけて『否定』するような『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情』=『気(エネルギー)』に対して『敏感』に反応して『情動』が引き起こされ『過去』にかかったであろう『病気』も浮かび上がってくるようになり、さまざまな『未病』や『アレルギー』の『症状』に苦しむようになってきているよ。
けれど・・
これは『自然に還る』ための『プロセス』として『浄化』が始まっているのであり・・
『生活習慣』の見直しや『考え方』の偏りや歪みや誤認による『こころ』の動きを『意識』して変えていくことで、自然に近い状態にもどしていくことができれば・・
自然とつながっていたもともとの『免疫システム』をとりもどすことができるようになり『自然治癒力』が目覚め、さまざまな『未病』の『症状』の『好転反応(良い状態にもどるために悪いものが外に出てくる)』が進んでいけば、治癒することができると感じているよ。
もちろん・・
最新の医療が必要なときは、適宜、最新医療を受けることも必要になるよ。
そうしながら・・
古くなった『意識(思考・感情)』から『新しい意識(思考・感情)』に変容し『自然のルール』にしたがった自分なりの『自然な生き方』を実践して、もっと人間らしく・自分らしく『自然体』でありながら『楽に』『楽しく』生きる方に『アンテナ』を高く立て・・
『あたま』と『こころ』と『からだ』を整えるようにしていると『本来の姿』を取りもどすことができるようになると感じているよ。
そんなぼくらを『やさしく』手助けしてくれるのはむ『自然の力』であり『色の力』も、ぼくらを『サポート』してくれるよ。
ぼくたちは『こころ』が元気がないときや『からだ』の調子がよくないときでも、なにかほっとするような滋味のある温かいものや「生きててよかった~」っておもえるおいしいものを食べると、心身ともに元気になれたりするよね。
とくに、ぼく、サーアイアイは、無農薬や有機農法で育てられた新鮮な野菜や肉や魚をシンプルな調理法で自然の味を活かしたお料理をいただくと「あ~~、おいし~~い、しあわせ~~」っておもえるからものすごく元気になれるんだ。
まさに『医食同源』って感じがするよ。
それに、ほとんどの『薬』が自然から採取されたものからできていることをおもえば、どれほどぼくらが『自然の力』に助けてもらっているかがよくわかるよね。
あと・・
『緑の香り』や『お花の香り』など『自然の香り』を嗅ぐと『気分』や『体調』がよくなることはみんな知っているよね。
もともとぼくらは、自然の一部だから『自然の香り』に触れると『脳』はダイレクトに原始の時代の自然な状態を思い出し、それによって『自然な姿』にもどりやすくなるのかもしれないね。
香りのいい植物やお花のニオイを嗅ぐと『ホルモン』の『バランス』が整えられ『やさしい気持ち』になれたり『安らぐ』のは『楽園』で暮らしていたころの『いい気分』を思い出させてくれるからなのかもしれないといつも感じているよ。
そのほかにも・・
お寺や寺院にいくと『スッキリした気分』や『静かな気分』や『おだやかな気分』になれるのは『お香』の香りによって『空気』が浄められ『邪気』がはらわれるからなんだろうね。
特に・・
『緑の香り』には『フィトンチッド』という成分があり、有害な『臭気=邪気』を『消臭・脱臭』する効果があり『空気』を浄化する力があるため、日頃、心身にたまった『邪気』も浄化してもらえるようになると感じるよ。
また・・
『モンスター』や電化製品からでている『電磁』によって、ぼくらは知らぬ間に、身体の電気に乱れが生じているんだけど・・
滝や川などで『おいしい空気』を吸っていると『マイナスイオン』が身体の電気に乱れを整えてくれるため『からだ』と『こころ』と『あたま』の歪みがとれてスッキリできることを感じるよ。
このように『フィトンチッド』や『マイナスイオン』が豊かにある自然に触れていると・・
『五感』からもさまざまな『刺激』をもらえ、全身で自然の『良質なエネルギー』をチャージできるから『心身の歪み』がとれ、元気をとりもどせることを実感しているよ。
さらに・・
ぼくらの生きている世界には『色』があるよね。この『色』も自然のものといえるよね。
実は、ぼくらは『無意識』のうちについつい見てしまう物(生活のなかにある身近な服や食器や小物など)や絵や映像や花や植物によって心身の『バランス』をとろうとしているよ。
『息があう』『呼吸があう』と『気分』がよくなり『リラックス』できるのは、実は『波長』があうということであり『波長』のあう色と触れることで心身の『バランス』をとり『リラックス』や元気をもらおうとしているんだ。
- 元気がないときときに『赤い』ものを身につけ、元気をだそうとしたり
- 心身が疲れているとき森に行きたくなるのは、植物の『緑』に触れることで『リラックス』しようとしていたり
- 目に飛び込んでくる『気になる色』をしばらく眺めていると、気持ちが落ち着いてくるのは・・
『無意識』のうちに、今の自分にとって必要な色を『本能』や『直感』が知らせてくれているということなんだ。
これからの『新しい世界』で生きていくぼくらにとって最もたいせつなことは『気分がいい』ということであり・・
ぼく、サーアイアイにとっては、このような『自然の力』や『色の力』によって『あたま』と『こころ』と『からだ』の『バランス』がとれると癒され、ものすごく『気分』がよくなるから『自然治癒力』もアップする感じがして、自然(神様)の『無条件・無償の愛』にすごく感謝しているよ。
ほかにも『気分』をよくするためには『感情』をしずめ『おだやか』な状態を保つことも、とてもたいせつになるんだ。
『感情』を表わす『言葉』や『ことわざ』には『おなか・はら』に関わるものがたくさんあるよね。(肝(きも)も『おなか』の一部とみなしているよ)。
などがあるよね。
これはあくまでもぼくが『感覚的』に感じていることなんだけど・・
『おなか』のなかには『傷ついた魂』である『内なる傷ついた子ども』たちが住んでいて、その子どもたちのことを 『腹の虫』と言い、『腹の虫』は『腸内細菌』の『悪玉菌』たちのことをいうのかもしれないと・・ぼく、サーアイアイは感じているよ。
なぜなら・・
『腸内の宇宙』には、ぼくたちの『生命の起源』から、さまざまな『感情』を記憶しながら、多様な『性格』というか『人格』や『性質』をもった『腸内細菌』たちが住んでいて・・
この世でいう善人が『善玉菌』で悪人が『悪玉菌』で、普段はどちらでもないけど、自分にとって優性になった方につく『日和見菌』がいると感じているからだよ。
そんな『腸内細菌』の『悪玉菌』たちは『宙(ちゅう)』をフラフラしている『モンスター』の『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』や『嫉妬』などの『ネガティブ』な『感情』の『波』を『波動』として感じとると・・
『同調』してあばれだし『悪玉菌』たちが吐き出す『毒ガス』=『邪気』が『からだ』じゅうをめぐり『胃腸』『肺』『気管支』『口』『鼻』にとどまってしまうため『気分』が悪くなると感じるんだ。
特に『肺』にたくさん『邪気』がとどまっている感じがして、とても気持ちが悪くなってしまうんだ。
まさに・・
『腸』のなかは、ぼくらが暮らしている世界、宇宙と同じなのではないかと感じていて・・
『腸内細菌』さんたちが『腸』という『宇宙』のなかで『調和』がとれ『ご機嫌さん』になれたら『情緒』は安定して『脳』も『ポジティブ』な『思考』を保つことができるようになり『免疫系』も自然のありように近づいていくように感じているよ。
簡単にいえば『腸(おなか)』が穏やかに元気になれば『脳(あたま)』は静寂をとりもどし『心臓(こころ)』も『身体(からだ)』もおだやかな状態を保つことができるって感じだよ。
なので・・
それぞれの人にとっての『自然な生き方』を実践しながら、気分よく暮らせる『環境』を整え『食生活』と『生活習慣』を見直すことで『腸内細菌』たちの『バランス』は整いやすくなると、同時に『情動』を昇華することもたいせつになるんだ。
なぜなら・・
いくら『腸内細菌』の『バランス』が整うようこころがけていても、ぼくらはさまざまな『刺激』によって『情動』が引き起こされ『感情』を穏やかな状態で保ち続けるのはとても難しく・・
『反射的』に『ホルモン』や『自立神経』に影響がおよび『汗』がでたり、心臓が『ドキドキ』したり『顔』や『姿勢』が反射的に微細に動き歪み・・
『からだ』に何らかの『影響』がおよんでしまうため『感情』を『コントロール』するのはなかなか『至難の業』ともいえるんだ。
こんな『からだ』の微細な反射を観ることで、その人の『こころ』の状態を読み取る『行動心理学』なるものもあるぐらい『感情』はかくしたり、無くしたりすることができないものであるんだ。
辛く苦しい『過去』を『ゆるし』波立つ『感情』をしずめるためには、それらの『地獄』を味わいながらも、そこから抜けだすための『修練』を積まなくてはならず・・
あらゆる『ゆるし』がなされなければ『感情』を穏やかな状態に保つことは難しいんだ。
とはいえ『感情』を『無』にしてしまったら『無感動・無表情』の『ロボット』のようになってしまうか、この世を『味気ない灰色の世界』にしてしまうことになるから『感情』を『無視』することは『危険』なことともいえるんだ。
ぼく、サーアイアイが自分のなかに深く入って気づいたことは・・
『情動』を昇華するための最後の『課題』として、上記のような『ゆるし』をいかにして成し遂げるか『恋』を『愛』に昇華できるかにあると感じているよ。
『ヘビ』によってわきあがる『恋する気持ち』による『情(じょう)』と『家族』や『たいせつに思っている人たち』に『愛し愛されたいとおもう気持ち』からくる『情(じょう)』をいかに神様が望むものにしていくかが『課題』であり・・
どちらの『情(じょう)』も『食』と『性』の『本能の欲求』を満たすことと深く関わりがあり、なんとしても生き延び『子孫』を残すための『使命』をまっとうするためには、清く美しく正しくあるだけでは果たせないこともあるのが『生き物』としての『性(さが)』であり・・
これが、人として生きることにおいては『弱さ』になってしまうこともありながら、こんな『性(さが)』がなせる『情(じょう)』があるからこそ『喜怒哀楽』という豊かな『感情』が人生を彩り豊かに輝かせ『命』はつながれてきたんだ。
男女が『恋する気持ち』によって結ばれ『家族』ができ、やがて『恋する気持ち』は『親子』の関係へと変わり、さらには『まわりにいる人たち』や『恩がある人たち』において『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる関係にまで広がり・・
- 苦しいときや辛いときや寂しいときは『愛』や『温もり』を求めずにはいられない『情(じょう)』がわきあがったり
- 共にいることで『たいせつ』に思えるようになることで、辛さや苦しさを分かちあい、いたわりあう『情(じょう)』がわきあがったり
- たいせつな人を守るためなら自分の『命』をも投げ出すほどの『強さ』をうみだす『情(じょう)』がわきあがったりして・・
いち『動物』でありながらも人として『人間らしく』生きる姿は、美しく愛おしいものでもあるんだ。
その半面『情(じょう)』は・・
- 『恋人』や『家族』や『たいせつに思っている人たち』を失望させたくない、よろこばせたいとおもう一心によって『本当の自分』を見失ったり、自分に『ウソ』をついて自分がやるべきことをおろそかにしてまで、その人たちに尽くそうと自分を犠牲にしてしまったり
- 『恋人』や『家族』や『たいせつに思っている人たち』の『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』が危うくなってしまうと、そこからくる『おそれ』のために『分別』をなくし、よからぬことを考えたり行動に移してしまったり
- 自分の『弱さ』や『欠け』や『傷』をうまく埋められず、誰かや何かに癒やし埋めてもらおうとすることに『執着』してしまうと『よからぬ道』に迷いこんだり、人のたいせつなものを奪ってしまうようなことまでしでかしたりして・・
知らぬ間にひとりよがりな『我欲』や『執着』が大きくなり『本当の自分』を見失ったり『分別』をなくしたり、自分も人も傷つけるような醜く汚れた世界におちいってしまう『危うさ』もはらんでいるんだ。
さらに・・
人生における『道』を選ぶ際にも・・
- 『本当の自分を生きる』か『傷つけたくない人や放っておけない人たちと共に生きる』か
- 『ありのままの自分』を生きるか『社会やまわりの人、好きな人の期待に応える自分』として生きるか
- 『情(本能)』に流されてしまうか『理(理性)』を守るかなど・・
ぼくらは『情(じょう)』に惑わされ、このふたつのあいだで迷いゆれながら『葛藤』を繰り返し『苦悩』してしまうから、この『課題』をクリアーするのは、とんでもなく難しいものになってしまうんだ。
こんな『性(さが)』がなせる『情(じょう)』によってどんな『思考』を繰りひろげていたかにより、さまざまな『愛』がかたちづくられ『情動』が引き起こされては・・
ぼくらの『あたま』と『こころ』と『からだ』はひっきなりに『コントロール』されてしまっているんだ。
なので・・
『課題』を安全にクリアーするためには『ヘビ』から学ぶ必要があるんだ。
『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『ヘビ』に操られてしまうと『我欲』や『保身』や『執着』や『おそれ』のために『濁った目』で物事をとらえ『弱さ』と『危うさ』をはらんでしまうため『悪魔』や『死に神』にとりつかれ『地獄』に落ちそうになってしまうけれど・・
『白ヘビ』に導いてもらいながら『ヘビ』を味方につけることができれば『澄んだ目』で物事を観ることができ『天使』や『神様』に守られながら『こころのままに』安らかに『楽園』に還っていけるようになると、ぼくは感じているんだ。
そのためには、自分の『本性』のなかにある『ヘビ』に『おそれ』をなし、こわがったりしないことが最もたいせつになり・・
イヤな部分も『弱さ』も『危うさ』ももちあわせた『影』をもっている自分の『本性』をともかく、全肯定する『自己肯定感』と『自尊心』を高く保つことが必要になるんだ。
自分の『影』の姿を『鏡』のように映して見せてくれている近くにいる人たちのイヤな部分は、だれのなかにも多かれ少なかれあるものなんだということを『理解』し・・
『傷ついたこころ』は自分のことをわかってくれる『愛』と『温もり』を求めてしまうがゆえに『弱くも危うくも』なってしまうことに『思いやり』の愛をさしこむことができると・・
自分にも人にも『やさしく』なれ『影』も『光』もある自分の『本性』を自分で認め、許し、抱きしめてあげることができるようになるんだ。
すると・・
辛い『過去』のせいで『あたま』や『こころ』が歪んだりよじれたりしながらも、みんな『生きること』に一生懸命で、そんなイヤな部分が『表』に出てしまわないよう、なんとか『よく生きようと』して・・
『無意識』のうちにイヤな部分を抑えている人がほとんどなんだってことがわかるようになるよ。
でもこれがおもうようにできず『ヘビ』への『恐怖』から『生き物』としての『本能』を忌み嫌い、力づくで『ヘビ』を押し殺し自分を守ろうとしてしまうと・・
『生きる基本』である『食べる・寝る・排泄する』ことがままならなくなり、自分を肯定することも信じることもできなくなり、生きること自体が『生き地獄』のようになり、自分をとりまくすべてが『恐怖』に満ちた辛く厳しいものになってしまうんだ。
医療に関わる『マーク』や『シンボル』に『ヘビ』と『杖』があしらわれているのを見たことはあるかなぁ~・・ぼく、サーアイアイの解釈はこんな感じだよ。
心身の『安らぎ』をあたえてくれる『白ヘビ』に導いてもらいながら『ヘビ』に惑わされない『分別』と『強い気持ち』と『勇気』をあたえてくれる『杖』をもち・・
この『杖』で自分の『ヘビ』の『ヘビづかい』になり『ヘビ』を味方につけることができれば『魂』を『浄化』しながら磨くことができ『情動』が昇華され・・
健やかに『しあわせ』に『自分らしく』自由に生きられる『楽園』に還ることができるようになると、ぼく、サーアイアイは解釈しているよ☆。
『情動』の昇華は・・
『陰・陽の統合』のために、いかにして『陰』つまりは『影』を『ゆるす』ことができるかということと・・
『男性性・女性性の統合』のために、いかにして『恋』を『愛』に変容していくことができるか・・
このふたつの『統合』が果たされたとき『情動』は昇華されると感じているよ。
そして・・
このふたつの『プロセス』のなかで『恋』する気持ちが人にもたらす『情(じょう)』の素晴らしさを発揮させながら・・
『こころ』から自然にわきあがる『情(なさ)け』である『やさしさ』や『親切』による『愛』に変容することができれば・・
『地球』に存在するあらゆる『命』に『思いやり』をもって『神様の愛』である『無条件・無償の愛』=『真実の愛』で愛することができるようになれば『源の愛』に還ることができ『楽園』で生きられるようになると感じているよ。
つまり・・
『全体性』に『回帰』するためには『情(じょう)』を『情(なさ)け』に昇華することが『とおる道』になるんだ。
けれど・・
『情(じょう)』を『情(なさ)け』に昇華するとき、自分の『こころ』に『ウソ』をついて、人のためになろうとしたり、人に尽くそうとすると、その『見せかけの愛』は『偽善』になってしまい・・
やがて『犠牲』を感じるようになった『こころ』は『怒り』や『憎しみ』に変わり『ウソ』をつき続けることができない『からだ』は不調を訴えるようになるばかりでなく・・
『ウソのやさしさ』をかけられた相手にとっても当人にとっても『魂』の成長をさまたげることになり、いいことはひとつもないから・・
『いい子・いい人』になろうとするより、いつでも自分の『こころ』に『ウソ』をつかず『本心』からしたいと思った小さな『親切』や『やさしさ』や『人のためになること』を積み重ねていくようにしよう!!。
『親切』や『やさしさ』や『人のためになること』を直接することができなくても、人の『しあわせ』や『健康』や『成功』や『平安』を『こころ』から祈ることができれば、その『祈り』は天までとどくことができ『情(なさ)け』になるんだ。
こうして・・
どんなに小さなことであっても『真実の愛』=『まごころ』からしていることであれば、その『やさしさ』や『温かい』ものは、必ず伝わるものだから・・
どうぞ、無理なく自分の『こころ』に素直に正直になって『親切』や『やさしさ』を人にあたえながら、人からの『親切』や『やさしさ』も素直にありがたくいただき『感謝』するようにしていこう!!。
そうすれば・・
すこしづつ『あたま』と『こころ』と『からだ』は『浄化』され『想念』がきれいになって『情動』は昇華されていくと、ぼくサーアイアイは感じているよ。
それに・・
「情けは人のためならず」といわれるように、自分のところに『愛』がめぐってくるようになるから『いいことづくめ』だよ☆。
さぁ~いっしょに『情動』の昇華に『チャレンジ』しよう!!。
『情動』は、ひとことであらわすのが難しいため下記ものぞいてみてね!!。
- 過去・現在・未来を同時に生きている (ロンパー)
- 軽やかに生きよう (ブッヒー)
- 自分を認めて、受けいれて、好きになろう・・(ラッキー)
- 『男性性』と『女性性』の分離による『コントロール』 (ブッヒー)
- 『ヘビ』から『真実の愛』を学ぶ(ブッヒー)
- 目をとじて耳をすませて・・(サーアイアイ)
- 天までとどく祈りの力(ラオリー)
- 『意識(思考・感情)』が発する『周波数』(サーアイアイ)
- 自分がありたいところに『周波数』を高く保つ(サーアイアイ)
- 自分のなかにあるものを『観察』する(『本当の自分』に気づいていく)(サーアイアイ)
- 『古い意識』から『新しい意識』に変容する(サーアイアイ)
- 『蝶』になるまでしばらくじっとしている・・(サーアイアイ)